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マイナー武将のメジャー家老・犬童頼兄による日記。
 
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日記を書こうとして日記帳を開くと、隅に書いてある数字が百になっていた。
この数字は、俺が日記帳を買ったときから日々少しずつ増え続け、ある日は変化なく、ある日は4,5くらい増しているときもあった。
だが、俺にはこの数字の意味が分からなかった。
それでも特に問題もないので、さほど気に留めずに今日まで日記を書いてきた。
しかし、今日俺の元に一通の矢文が届いた。
差出人は書かれていない。
不審に思いつつも開くと、
『本日めでたく概算百人の方があなたの日記を見に来てくれました』
と書いてあった。
なるほど、この数字にはそのような意味があったようである。
さらに文を読み進めると、どうやら、俺が日記帳に書いたことはなんらかの方法で公開されており、深水頼蔵や殿にはその方法でこの日記を読むことはできないようだ。
よって、百という数字の中に彼らが含まれていることは確実にありえないということになる。
さらにこの日記帳自体も、誰かに盗み見られている形跡もない。
あの2人に見られていないことが分かり、俺は安堵した。
そして、殿様の御ためについてしか書かれていない日記を、あえて見に来てくれた百人に感謝したいと思う。
上井覚兼日記になど負けず、これからも、相良のお家の行く先、九州戦国期の行く末を書き残していく。
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百人訪いおめでとうございます!
2008/09/26(Fri)23:39:05
これからも貴公の日記が沢山の方々の目に触れられる事を心から応援しております。
殿の御ために頑張って下さいっ!!
編集
Re:百人訪いおめでとうございます!
2008/09/27 01:35
意見投稿と応援に感謝する。
あの殿であるから、殿様の御ための仕事も尽きない。
だが、雪合戦だけは断りたい…。
犬童頼兄
 
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(劇)池田商会制作様
2008年9月14日、九州戦国史を描く演劇を上演されました
主役は犬童頼兄!



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キリ番訪い者様へのお返事
・1年目2月17日300訪いの方
ご訪問ありがとうございます。
「青森県弘前市に相良姓または犬童姓の人が今もいるのか」という内容のご意見をいただきました。申し訳ないことに管理人も断言できるほどの知識はありませんが、答えられる限りお答えしたいと思います。
根拠に用いるには説得力が疑われますが、Wikipediaによると、子孫は「名字を変えて」津軽藩に仕えたとあります。よって、相良姓・犬童姓は頼兄の代で終わったとも考えられます。しかし、犬童頼兄は津軽で罪人として扱われず、教養人として津軽藩の藩士の育成に貢献していたようですから、わざわざ身の上を憚り名字を変える必要性は無かったのではないでしょうか。さらに、町の名前として弘前市相良町が残っています。このことからも、仮に一旦頼兄の代で相良姓が絶えたとしても、江戸期に家系を遡り相良姓を再び名乗り始めた可能性も考えられます。
憶測ばかりで答えになっておりませんが、管理人は今も相良姓を名乗る人がいるのではないかと思っております。この度はご訪問・ご意見ありがとうございました。
※結論確定いたしました※
人吉城歴史館の学芸員の方にお話をお伺いして参りました。
人吉にも弘前にも、流罪後の頼兄に関する史料は残っていないようです。そのため、弘前に頼兄つながりの相良姓・犬童姓が残ったかどうかを確認することはできかねるということでした。
よりあに書簡
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相良頼房史実プロフィール
1574年生まれ。
第18代当主・義陽の次男として生まれ、父の戦死後は人質として薩摩に赴き、兄の死後は第20代当主となった。
関ヶ原合戦や大阪の陣を経験する。
犬童頼兄の補佐を受け、数々の場面で助けられるも、彼の勝手な振る舞いが悩みの種だった。
犬童頼兄史実プロフィール
生年不詳。
生家の犬童家は、肥後の奥地を治める相良氏に代々仕える。
相良家の2万2000石に対し、半分近い8000石を有した。
のちに相良頼兄、相良清兵衛頼兄と名乗る。
主家の維持に尽力するも、後年、専横の振舞いが目立ったため主家によって幕府に訴えられ、津軽藩に流される。
それに反発した一族が相良家に乱を起こし、一族全員121人が討死した。
弘前市相良町は頼兄の屋敷地に由来する。
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犬童頼兄
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非公開
職業:
相良家筆頭家老
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策略謀略
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