先月は日記を開くことすら無くなっていただけに、2年目と記すのが憚られた。
季節は秋へと移り変わったが、変わらず球磨川の工事は続いている。
もちろん、島津義弘も人吉に滞在している。
人吉に入る秋刀魚が干し秋刀魚であることは知っていたようだが、実際に膳に干し秋刀魚が乗せられて運ばれてくると、若干物寂しげな顔をした。
「義弘さんがお小遣いで食べさせてくれた生秋刀魚の塩焼き、美味しかったなあ」
と、秋の涼やかな雨音を聞きながら、殿が懐かしそうに晩酌の盃を傾けた。
大大名家の当主の弟が小遣い制、というのも訝しい話だが、子供の時分から食い意地が張っていた殿は、義弘に胃袋のほうも世話になっていたようだ。
「あ、それに加藤さんとこの辛子蓮根とか、大阪城で出たすごく豪華な料理も美味しかったなあ」
油断していた俺が殿の口を塞いだのは、すべてを言い切ってからであった。
「殿、軽率な発言はお止めください」
壁に耳あり、障子に目あり。
いつどこで、義弘やその供の者が聞いているやも知れないのである。
しかし、焦る俺とは対照的に、殿は冷静な目でこう言った。
「聞かれていたら聞かれていたで、その時は加藤さんが出てきてくれる。秀吉さんの目があるだけに、加藤さんは僕との約束を破れるわけもないし、宇土にいる小西さんへの対抗心から出陣を渋るとは思えないよ。それに秀吉さんだって、北肥後に自分の子供みたいな武将をあえて置いているほど、九州、特に薩摩には手を焼いているんじゃないかな。早々に片付けてしまいたいはずだよ」
殿は一息でそう言ってしまうと、持っていた盃を干した。
俺にはその目に、どこか義陽公の面影があるように思われて仕方なかった。
まだ子供の気が抜けず、大層な事柄など考えているようには見えない殿であるが、人の性質を見抜き、それを利用せんとする。
この人なら、将来大事を成すに違いない。
この殿様の御ためならば、俺は生涯付き従っても悔いなど無い。