人吉を発ってから11日目、今日ようやく椎葉の棟梁が住むという集落に到着した。
入口の門にて門番に名乗り身分を伝えると、門番は不可解そうな表情ながらも、俺が集落の中に入ることを許した。
その後門番は上の者に俺を引き渡し、その者によって確かに俺が相良頼房が家臣であることを確かめられた。
特に襟巻きについつはくどいほどに質問された。
「弾正様に、相良殿の家臣がいらした旨をご報告して参ります」
ようやく那須弾正に取り次いでもらえたのは、門を通過して2時間ほど経ってからであった。
山奥の暮らしだからだろうか、余所者には厳重な対応をするようである。
これから考えるに、弾正は慎重な人間なのであろう。
しかし、通された部屋で待っていたところ、力任せに障子を開けて入ってきた那須弾正は、豪放磊落な山男と言った風体であった。
「相良殿の家臣、犬童殿か。名前はよく聞こえている」
彼は旅の労を労ったあと、早速俺に用件を訊ねた。
「単刀直入に申し上げます。あなたのご息女、露袈裟殿を我が殿の嫁としてお迎えしたく存じ上げ、ここ椎葉に参りました」
これを聞いた弾正は俺の真意を探るような目をし、「それだけか」と怪訝な様子であった。
どうやら、相良の当主の側近が来たからには、対加藤への要請と考えていたらしい。
「それだけもなにも、大切なご息女に関わることです」
「俺は構わん。だが、娘と会って、どんな奴かを相良殿への土産話にするといい」
そう言って弾正は娘の嫁入りをあっさり許し、明日娘と会う機会まで設けてくれた。
「それにしても、嫁のためだけにわざわざ側近がこんな遠方にまで参られるとはな」
「それはすべて、殿様の御ためにございます」
俺の答えを聞いて、弾正は「やはり」といったような笑みを浮かべた。
「噂どおり」
なにが面白いのか、彼は耳が痛むほどの声で大笑いした。
入口の門にて門番に名乗り身分を伝えると、門番は不可解そうな表情ながらも、俺が集落の中に入ることを許した。
その後門番は上の者に俺を引き渡し、その者によって確かに俺が相良頼房が家臣であることを確かめられた。
特に襟巻きについつはくどいほどに質問された。
「弾正様に、相良殿の家臣がいらした旨をご報告して参ります」
ようやく那須弾正に取り次いでもらえたのは、門を通過して2時間ほど経ってからであった。
山奥の暮らしだからだろうか、余所者には厳重な対応をするようである。
これから考えるに、弾正は慎重な人間なのであろう。
しかし、通された部屋で待っていたところ、力任せに障子を開けて入ってきた那須弾正は、豪放磊落な山男と言った風体であった。
「相良殿の家臣、犬童殿か。名前はよく聞こえている」
彼は旅の労を労ったあと、早速俺に用件を訊ねた。
「単刀直入に申し上げます。あなたのご息女、露袈裟殿を我が殿の嫁としてお迎えしたく存じ上げ、ここ椎葉に参りました」
これを聞いた弾正は俺の真意を探るような目をし、「それだけか」と怪訝な様子であった。
どうやら、相良の当主の側近が来たからには、対加藤への要請と考えていたらしい。
「それだけもなにも、大切なご息女に関わることです」
「俺は構わん。だが、娘と会って、どんな奴かを相良殿への土産話にするといい」
そう言って弾正は娘の嫁入りをあっさり許し、明日娘と会う機会まで設けてくれた。
「それにしても、嫁のためだけにわざわざ側近がこんな遠方にまで参られるとはな」
「それはすべて、殿様の御ためにございます」
俺の答えを聞いて、弾正は「やはり」といったような笑みを浮かべた。
「噂どおり」
なにが面白いのか、彼は耳が痛むほどの声で大笑いした。
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昼頃まではよく晴れていたが、日が暮れるに従い、陽が雲に隠れ始めた。
明日は雨かも知れない。
夜中から降り始める可能性も考えて今晩の寝床を探したところ、運良く洞窟を見つけることができた。
中にはキジ馬が数頭いたが、幸い洞窟が広いので、こちらから近寄らなければキジ馬を刺激せずに済みそうである。
それにしても、この山中にはキジ馬がやたら多い。
茂みに入れば、誤ってキジ馬を踏みつけたこともしばしばであった。
殿に知られればたいへんなことになるだろう。
そこで考えるのだが、もし、椎葉の娘もキジ馬好きであったらどんなに好都合であろう。
共通の趣味があれば、彼女にとっても見知らぬ土地に嫁ぐ不安が和らぐのではなかろうか。
殿様の御ため、娘をキジ馬好きにさせるのもひとつの手かも知れない。
明日は雨かも知れない。
夜中から降り始める可能性も考えて今晩の寝床を探したところ、運良く洞窟を見つけることができた。
中にはキジ馬が数頭いたが、幸い洞窟が広いので、こちらから近寄らなければキジ馬を刺激せずに済みそうである。
それにしても、この山中にはキジ馬がやたら多い。
茂みに入れば、誤ってキジ馬を踏みつけたこともしばしばであった。
殿に知られればたいへんなことになるだろう。
そこで考えるのだが、もし、椎葉の娘もキジ馬好きであったらどんなに好都合であろう。
共通の趣味があれば、彼女にとっても見知らぬ土地に嫁ぐ不安が和らぐのではなかろうか。
殿様の御ため、娘をキジ馬好きにさせるのもひとつの手かも知れない。
休憩をしていると、椎葉から来たと言う若者に出会った。
どうやら、椎葉と球磨を往来している商人らしい。
この山道を歩き続けるとは感心なものだと言うと、
「他に同業者がいないぶん、よく儲かりますから」
と、満更でもなさそうな顔をした。
「椎葉の棟梁、那須弾正の娘を知っているか」
商人ならば知っているのではないかと思い、彼に椎葉の娘のことを尋ねてみた。
彼は親しみをもってキジ馬を抱き上げたものの、遠慮なく威嚇されてしまい、苦笑いを浮かべ、
「もちろん知っていますよ」
と頷いた。
「椎葉で最も美しく、それは例えようのない方だと伺っております。もっとも、私のような身分の者はお顔を拝見することも叶いませんがね」
商人は、そのような方に一目でいいから会ってみたいものだ、と漏らしていた。
「しかし、少々お気の強い方とも聞いたことがあります。自尊心が人並み以上なのでしょうか、これも美人だからかも知れませんね」
気の強い女、それは初めて聞く情報だった。
気位が高いとなると、殿には少々合わないのではないだろうかと考えたが、これもあくまでも噂である。
実際に会ってみなければ事実はわからない。
それに、そのような娘でも、相良のお家に十分魅力を感じさせられさえすれば、少しは穏やかで殿に従順になるのではなかろうか。
殿様の御ため、相良側が値切って頼み込むのではなく、娘がぜひとも嫁ぎたいと思うような説得をしなければならない。
どうやら、椎葉と球磨を往来している商人らしい。
この山道を歩き続けるとは感心なものだと言うと、
「他に同業者がいないぶん、よく儲かりますから」
と、満更でもなさそうな顔をした。
「椎葉の棟梁、那須弾正の娘を知っているか」
商人ならば知っているのではないかと思い、彼に椎葉の娘のことを尋ねてみた。
彼は親しみをもってキジ馬を抱き上げたものの、遠慮なく威嚇されてしまい、苦笑いを浮かべ、
「もちろん知っていますよ」
と頷いた。
「椎葉で最も美しく、それは例えようのない方だと伺っております。もっとも、私のような身分の者はお顔を拝見することも叶いませんがね」
商人は、そのような方に一目でいいから会ってみたいものだ、と漏らしていた。
「しかし、少々お気の強い方とも聞いたことがあります。自尊心が人並み以上なのでしょうか、これも美人だからかも知れませんね」
気の強い女、それは初めて聞く情報だった。
気位が高いとなると、殿には少々合わないのではないだろうかと考えたが、これもあくまでも噂である。
実際に会ってみなければ事実はわからない。
それに、そのような娘でも、相良のお家に十分魅力を感じさせられさえすれば、少しは穏やかで殿に従順になるのではなかろうか。
殿様の御ため、相良側が値切って頼み込むのではなく、娘がぜひとも嫁ぎたいと思うような説得をしなければならない。
椎葉までの道のりに必要なものと、椎葉の娘の家、那須家への土産を風呂敷にまとめた。
殿には工事の人材集めと称し、ひと月弱ほど留守にすると告げてから城を後にした。
突然の話に殿は朝から少々驚いていたが、「気を付けて」と言って快く送り出してくれた。
椎葉に行くには、まず日向を目指すのが丁度いい。
しかし、道がさっそく急峻な山道に入ったため、それは容易ではないと思われた。
到着までは掛かっても1週間ほどと考えていたのだが、この道に加えて天候等により、それ以上掛かる可能性もあるだろう。
日が暮れ始めると、暗闇になる前にどこか寝られそうな場所を探した。
あえて厳しい山道を通過しようとする旅人はいないため、周辺には宿はおろか人家もないのである。
幸い、よく葉の茂った木の下に見つけることができた。
この木ならば急な雨にも耐えられるであろうが、ただ、野生のキジ馬がやたら多いのが気になるところである。
保存食を出そうとすると、気配で分かるのか、5,6頭のキジ馬が寄って来た。
仕方がないので木に登り、枝の上で飯を食った。
山道と言いキジ馬と言い、初日からずいぶん疲れてしまったが、殿様の御ため、帰りは足が軽くなるような結果を得なければならない。
殿には工事の人材集めと称し、ひと月弱ほど留守にすると告げてから城を後にした。
突然の話に殿は朝から少々驚いていたが、「気を付けて」と言って快く送り出してくれた。
椎葉に行くには、まず日向を目指すのが丁度いい。
しかし、道がさっそく急峻な山道に入ったため、それは容易ではないと思われた。
到着までは掛かっても1週間ほどと考えていたのだが、この道に加えて天候等により、それ以上掛かる可能性もあるだろう。
日が暮れ始めると、暗闇になる前にどこか寝られそうな場所を探した。
あえて厳しい山道を通過しようとする旅人はいないため、周辺には宿はおろか人家もないのである。
幸い、よく葉の茂った木の下に見つけることができた。
この木ならば急な雨にも耐えられるであろうが、ただ、野生のキジ馬がやたら多いのが気になるところである。
保存食を出そうとすると、気配で分かるのか、5,6頭のキジ馬が寄って来た。
仕方がないので木に登り、枝の上で飯を食った。
山道と言いキジ馬と言い、初日からずいぶん疲れてしまったが、殿様の御ため、帰りは足が軽くなるような結果を得なければならない。
4月も中旬に差し掛かり、十分暖かくなって来たということで、球磨川の堤防工事の件が進められることになった。
工事には大勢の人夫が必要である。
城下の中心部や農村部に人夫を募る触れを出し、さっそく働き手の確保を始めた。
「覚兵衛さんが言っていたけど、加藤さんが上手く工事を完成させられたのは、働く人にきちんと日当と農作業の時間を取らせたからだってさ。僕らもそうしようね」
殿はそう言い、工事の過程のみならず、人の使い方でも加藤の良いところを再現しようとしていた。
「頼兄殿には、人材調達に出向いていただきたいと思います」
全体の会議が解散となると、深水頼蔵が俺に声を掛けてきた。
どういうことかと訊ねようとしたところ、頼蔵はとりあえず自分の部屋に来て欲しいと小声で言った。
殿にはあまり聞かれたくない様子であった。
なにを話すのだろうかと俺は興味を持ち、頼蔵の部屋に場所を移して改めて問うた。
「暖かくなったことですし、椎葉の娘さんを訪ねて欲しいのです」
椎葉の娘と言えば、殿の嫁の候補である。
「それはお前のほうが適役だろう。俺が女を上手く口説けるはずがない」
「私はこちらに残り、会計として資金調達をせねばなりません」
「岡本殿はどうなんだ」
「岡本殿にはあの山は険しすぎます。それに」
頼蔵はそこで突然言葉を止め、俺を見て嫌な笑いを浮かべた。
「あなたは殿の一番の家臣なのですから、あなたが行かずして誰が赴くと仰るのですか。これは殿の一生に関わること、殿もあなたに結婚の面倒を見てもらいたいはずです」
俺が確実に断らないであろう文句を突きつけられ、俺は椎葉行きを承諾するほかなかった。
殿様の御ためであれば、険しい山も、ましてや大事業から一旦身を引く歯がゆさも厭わない。
「わかった。さっそく明日出発する」
俺はそう答えたが、実際のところ、椎葉の娘とその父親を口説き落とせる確信は無い。
相良のお家が球磨の領主の家柄と言えど、現実熊本と薩摩の板挟みの状態であることを考慮すれば、そのような危険な場所に娘を嫁がせるのは躊躇するのではなかろうか。
この負の点をいかに好転させるかが、俺の腕に掛かっている。
工事には大勢の人夫が必要である。
城下の中心部や農村部に人夫を募る触れを出し、さっそく働き手の確保を始めた。
「覚兵衛さんが言っていたけど、加藤さんが上手く工事を完成させられたのは、働く人にきちんと日当と農作業の時間を取らせたからだってさ。僕らもそうしようね」
殿はそう言い、工事の過程のみならず、人の使い方でも加藤の良いところを再現しようとしていた。
「頼兄殿には、人材調達に出向いていただきたいと思います」
全体の会議が解散となると、深水頼蔵が俺に声を掛けてきた。
どういうことかと訊ねようとしたところ、頼蔵はとりあえず自分の部屋に来て欲しいと小声で言った。
殿にはあまり聞かれたくない様子であった。
なにを話すのだろうかと俺は興味を持ち、頼蔵の部屋に場所を移して改めて問うた。
「暖かくなったことですし、椎葉の娘さんを訪ねて欲しいのです」
椎葉の娘と言えば、殿の嫁の候補である。
「それはお前のほうが適役だろう。俺が女を上手く口説けるはずがない」
「私はこちらに残り、会計として資金調達をせねばなりません」
「岡本殿はどうなんだ」
「岡本殿にはあの山は険しすぎます。それに」
頼蔵はそこで突然言葉を止め、俺を見て嫌な笑いを浮かべた。
「あなたは殿の一番の家臣なのですから、あなたが行かずして誰が赴くと仰るのですか。これは殿の一生に関わること、殿もあなたに結婚の面倒を見てもらいたいはずです」
俺が確実に断らないであろう文句を突きつけられ、俺は椎葉行きを承諾するほかなかった。
殿様の御ためであれば、険しい山も、ましてや大事業から一旦身を引く歯がゆさも厭わない。
「わかった。さっそく明日出発する」
俺はそう答えたが、実際のところ、椎葉の娘とその父親を口説き落とせる確信は無い。
相良のお家が球磨の領主の家柄と言えど、現実熊本と薩摩の板挟みの状態であることを考慮すれば、そのような危険な場所に娘を嫁がせるのは躊躇するのではなかろうか。
この負の点をいかに好転させるかが、俺の腕に掛かっている。