ようやく、深水頼蔵が今月上旬に貸した本を返しに来た。
これはと思う部分を逐一写していたので、返却に時間が掛かったらしい。
「目新しいことばかりで、とても勉強になりました」
そう言うと、頼蔵は求めてもいないのに格別に気に入った箇所について語り始めた。
俺は人物としての頼蔵は嫌いであるが、仕事に対する興味やその姿勢は、最も好ましい区分に分類される。
「また良い本がありましたら、是非ともお願いしますね」
終始嬉しげに話を進めたのち、頼蔵は俺に次回を期待して部屋を後にした。
奴のことであるから、いつの日か開かれるであろう軍議の際に、この度得た知識を活かすことだろう。
直接的であることが一番だが、適材適所に基づき、間接的に殿様の御ためを果たすことができたと思う。
これはと思う部分を逐一写していたので、返却に時間が掛かったらしい。
「目新しいことばかりで、とても勉強になりました」
そう言うと、頼蔵は求めてもいないのに格別に気に入った箇所について語り始めた。
俺は人物としての頼蔵は嫌いであるが、仕事に対する興味やその姿勢は、最も好ましい区分に分類される。
「また良い本がありましたら、是非ともお願いしますね」
終始嬉しげに話を進めたのち、頼蔵は俺に次回を期待して部屋を後にした。
奴のことであるから、いつの日か開かれるであろう軍議の際に、この度得た知識を活かすことだろう。
直接的であることが一番だが、適材適所に基づき、間接的に殿様の御ためを果たすことができたと思う。
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年度末の決算期ということで、会計係である深水頼蔵は多忙を極めているようである。
会計の者総出で仕事に当たっているとのことだが、どうも人手が足りないらしく、この1週間ほど会計にかり出されていた。
連日朝から晩までそろばんを弾き続けたのは、新入りの頃以来であった。
午後、とりあえずひと段落がついたので、頼蔵が礼にと旨い茶を飲ませる店に俺を誘った。
「とても助かりました。これで決算書の提出日に間に合いそうです」
頼蔵は心底安心したような表情をしていた。
「それならいい」
俺はそう答え、運ばれてきた茶をすすった。
舌の肥えた頼蔵が美味いと言うだけに、確かに味の良い茶であった。
「いつか殿を連れて来たいところだな」
「桜の花見のついでにお連れしたらどうですか」
ここには甘いぜんざいもありますから、と言い、頼蔵も美味そうに茶をすすった。
城下町には様々な店が並んでいるが、俺は店の良し悪しの評判に疎い。
食い物に目がない殿様の御ため、頼蔵のように良い店を熟知していることも大事なことだと思った。
「他にも良いところがあれば、また教えてくれ」
素直にそう頼むと、頼蔵は「お安い御用です」と快く頷いた。
会計の者総出で仕事に当たっているとのことだが、どうも人手が足りないらしく、この1週間ほど会計にかり出されていた。
連日朝から晩までそろばんを弾き続けたのは、新入りの頃以来であった。
午後、とりあえずひと段落がついたので、頼蔵が礼にと旨い茶を飲ませる店に俺を誘った。
「とても助かりました。これで決算書の提出日に間に合いそうです」
頼蔵は心底安心したような表情をしていた。
「それならいい」
俺はそう答え、運ばれてきた茶をすすった。
舌の肥えた頼蔵が美味いと言うだけに、確かに味の良い茶であった。
「いつか殿を連れて来たいところだな」
「桜の花見のついでにお連れしたらどうですか」
ここには甘いぜんざいもありますから、と言い、頼蔵も美味そうに茶をすすった。
城下町には様々な店が並んでいるが、俺は店の良し悪しの評判に疎い。
食い物に目がない殿様の御ため、頼蔵のように良い店を熟知していることも大事なことだと思った。
「他にも良いところがあれば、また教えてくれ」
素直にそう頼むと、頼蔵は「お安い御用です」と快く頷いた。
昨日の夕方に、先週注文した絵の具が届き、今日からさっそく殿は溜めていた絵に彩色し始めた。
俺は仕事をしながらその様子を横目で眺めていたが、素人目にも上手いと思った。
もし殿が武家の生まれでなかったら、絵師としての人生を送っていたかも知れない。
「そのような殿のお近くにいらした割に、あなたには絵心というものがなさそうですね」
頼蔵は満面の笑顔でそう言い、廊下を歩いていった。
殿様の御ためには絵心は不必要である。
俺は仕事をしながらその様子を横目で眺めていたが、素人目にも上手いと思った。
もし殿が武家の生まれでなかったら、絵師としての人生を送っていたかも知れない。
「そのような殿のお近くにいらした割に、あなたには絵心というものがなさそうですね」
頼蔵は満面の笑顔でそう言い、廊下を歩いていった。
殿様の御ためには絵心は不必要である。
殿が使用している文房具類の消耗品が残り僅かとなってきたので、残数を確認し、発注書を書いた。
明日御用聞きの者が来るので、早ければ週明けには注文の品が届くであろう。
それにしても、今回は紙の減りがやたら速かった。
殿が書いた書類や手紙の数には、大きな変化はなかったはずである。
おかしなこともあるものだ、とふと部屋の隅に目をやると、隠すように紙の束が置かれていた。
書き損じをまとめているのかと思い、俺は殿に訊ねるより前に、その紙の束を手にとって中身を見てみた。
すると、殿が俺のほうを見て「あ」と大きな声を上げた。
紙の束の正体は、殿が描いたキジ馬等の落書きであった。
「殿、このようなことに紙を無駄遣いされては困ります」
俺が呆れて注意すると、
「城に篭もってばかりだと、それくらいしか遊びがないんだ。それに、絵を描くのを教えてくれたのはよりあにじゃないか」
と、殿は若干拗ね気味にそう答えた。
確かに、俺が仕事をしている間はひとりでも退屈せぬよう、物心が付いたばかりの頃の殿に筆を持たせ、紙を与えたのは俺であった。
「そう言いましても、この量は考えものです」
「わかったよ、じゃあやめるよ」
殿は本格的に拗ね、そっぽを向いてしまった。
「17にもなって拗ねるとは何事ですか」
俺はそう嗜めながら殿の近くに寄り、予想外の涙目に驚いた。
「そこまで戯画がお好きなのですか」
殿は無言のまま頷いた。
それほどまでに好きなものに厳しく制限を掛ければ、殿の精神衛生上好ましくない。
かと言って、束になるほどの紙を仕事以外に使われると経費がかさむ一方である。
俺は少々考えた結果、殿様の御ため、
「では、殿。絵の具というものをご存知でしょうか。墨で描いた絵に、赤や青などの色をつけるものです。それを使って1枚1枚を丁寧に仕上げる代わりに、紙の量を減らしていただけませんか」
「キジ馬を本物みたいに赤くすることができるの?」
殿は興味ありと言う風な目で俺を見、俺が「できます」と答えると嬉しそうな顔をした。
かくして、俺は発注書に絵の具を追記し、元通り折り畳んだ。
我ながら、殿には甘い己である。
しかし、殿の生活に我慢を押し付けるばかりではなく、できる限り殿の希望も叶えることにより、広義での殿様の御ためが成り立つと考えるのである。
明日御用聞きの者が来るので、早ければ週明けには注文の品が届くであろう。
それにしても、今回は紙の減りがやたら速かった。
殿が書いた書類や手紙の数には、大きな変化はなかったはずである。
おかしなこともあるものだ、とふと部屋の隅に目をやると、隠すように紙の束が置かれていた。
書き損じをまとめているのかと思い、俺は殿に訊ねるより前に、その紙の束を手にとって中身を見てみた。
すると、殿が俺のほうを見て「あ」と大きな声を上げた。
紙の束の正体は、殿が描いたキジ馬等の落書きであった。
「殿、このようなことに紙を無駄遣いされては困ります」
俺が呆れて注意すると、
「城に篭もってばかりだと、それくらいしか遊びがないんだ。それに、絵を描くのを教えてくれたのはよりあにじゃないか」
と、殿は若干拗ね気味にそう答えた。
確かに、俺が仕事をしている間はひとりでも退屈せぬよう、物心が付いたばかりの頃の殿に筆を持たせ、紙を与えたのは俺であった。
「そう言いましても、この量は考えものです」
「わかったよ、じゃあやめるよ」
殿は本格的に拗ね、そっぽを向いてしまった。
「17にもなって拗ねるとは何事ですか」
俺はそう嗜めながら殿の近くに寄り、予想外の涙目に驚いた。
「そこまで戯画がお好きなのですか」
殿は無言のまま頷いた。
それほどまでに好きなものに厳しく制限を掛ければ、殿の精神衛生上好ましくない。
かと言って、束になるほどの紙を仕事以外に使われると経費がかさむ一方である。
俺は少々考えた結果、殿様の御ため、
「では、殿。絵の具というものをご存知でしょうか。墨で描いた絵に、赤や青などの色をつけるものです。それを使って1枚1枚を丁寧に仕上げる代わりに、紙の量を減らしていただけませんか」
「キジ馬を本物みたいに赤くすることができるの?」
殿は興味ありと言う風な目で俺を見、俺が「できます」と答えると嬉しそうな顔をした。
かくして、俺は発注書に絵の具を追記し、元通り折り畳んだ。
我ながら、殿には甘い己である。
しかし、殿の生活に我慢を押し付けるばかりではなく、できる限り殿の希望も叶えることにより、広義での殿様の御ためが成り立つと考えるのである。
今日の朝食には珍しく玄米の飯ではなく、温かい素麺、いわゆるにゅうめんというものが出た。
朝から日が差していたものの、まだ寒いさなかには有り難い献立だった。
「久し振りに食べたら、珍しくて美味しかったね」
と、殿は朝からご満悦であった。
よくよく話を聞いてみると、麺が主食であったにも関わらず、殿の膳には飯も付いていたらしい。
確かに、麺だけでは殿の胃袋は満足しないだろう。
さすが長く殿の食事を作り続けているだけに、台所の者は殿の食欲事情を熟知していた。
彼らが殿様の御ため、如何にすれば殿に満足してもらえるかを考えた証を知ることができ、今日は気持ちのいい朝であった。
朝から日が差していたものの、まだ寒いさなかには有り難い献立だった。
「久し振りに食べたら、珍しくて美味しかったね」
と、殿は朝からご満悦であった。
よくよく話を聞いてみると、麺が主食であったにも関わらず、殿の膳には飯も付いていたらしい。
確かに、麺だけでは殿の胃袋は満足しないだろう。
さすが長く殿の食事を作り続けているだけに、台所の者は殿の食欲事情を熟知していた。
彼らが殿様の御ため、如何にすれば殿に満足してもらえるかを考えた証を知ることができ、今日は気持ちのいい朝であった。