夕食後に殿の前を下がってすこし残りの仕事に取り掛かったあと、風呂に行こうと席を立った。
近頃は日が落ちるのが遅くなってきたが、その頃には星がよく見える空になっていた。
おかしなことは湯殿に入ってから起きた。
湯気の中に柑橘類の香りが漂っていたのだ。
外で火の番をしている者に尋ねると、「湯のふたを開けてみてください」という返事が返ってきた。
俺は言われた通りふたを開け、言葉に詰まった。
みかんが浮いていたのだ。
「深水様のご提案で、みかんを湯につけてその香りと味をゆるりと楽しむそうです」
「食うのか」
香りのために入れただけで、さすがに食うとは予想だにしていなかった俺は、思わず訊き返した。
「はい。風呂でのみかんも美味いと、皆様からご好評をいただいております」
俺は「そうか」としか言えず、おとなしくみかんの浮いた湯船に浸かった。
風呂のような疲れを取る場所で柑橘類の香りを楽しませるのは、これが洒落ているかどうかは知らないが、いかにも洒落たことの好きな頼蔵らしい。
しかも、入れたみかんを食べるとはいかにも殿好みである。
なかなかやってくれる、と思いながら、俺もひとつみかんを手に取って皮をむいた。
一概に殿様の御ためと言えど、人の性質が十人十色であるのと同じく、その表し方が千差万別であることは常々実感している。
それゆえに、俺の殿様の御ためがほんのいち側面だということもわかっている。
しかし、俺は自分1人で完璧に殿に仕えられるようになることを目指してきた。
これからもそれを変えるつもりはなく、これを機会に、皆で足りない点を補い合うことで殿に十分な働きをする、と方針を転換することはない。
皆の殿様の御ためを見てそれを学び覚え、自分のものにしていくことで俺の理想を叶えたいのである。