今日、薩摩から書状が届いた。
差出人は島津義弘だった。
殿が目を通したあと、俺も読ませて貰った。
「相変わらず誤字脱字が多いですね」
そう長くはない手紙であるのに、読むのに随分時間が掛かった。
「別段用件も無く、ただの機嫌伺、もとい暇潰しの手紙のようですね」
俺は心なしか安心しながら書状を畳んだ。
「僕がどうしているか気になっているのかな」
「それは政治的な意味合いで、ですか?」
俺がそう訊ねると、殿は「たぶん違うよ」と答えた。
「義弘さんは、お兄さんと違って僕を居候くらいにしか見ていなかったから」
昔、殿が言っていた。
義弘の実兄であり島津宗家の当主である義久は、人質としてやって来た殿を政治の駆け引き道具としてしか見ていなかったようだ。
それは当然のことであるが、幼かった殿にはその目がとても恐ろしかったらしい。
怯えてひとり部屋の隅に居ると、義弘が笑顔で薩摩揚げを持って来て、食わせてくれたと言う。
食い物を与えてくれる人はいい人、という等式が疑いも無く成り立つ殿である。
そのときから義弘によく懐き、義弘も3人目の弟ができたように可愛がってくれたようだ。
「返事、書くよ」
殿は立ち上がり、机の前に座った。
殿様の御ため、俺は棚から上質の紙を選び出し、机の上に置いた。
そして殿が筆に墨を含ませている様子を見ながら、思った。
殿においては、加藤清正という存在を忘れないで欲しいと。
「よりあに」
筆を紙に近づけたとき、殿が不意に顔を上げた。
考えていることを読まれたかと、俺は若干構えた。
「よりあにが炬燵を出したこと、書いていい?」
殿は無邪気な目でそう言った。
少しの間のあと、「ええ、構いませんよ」と、拍子抜けしたのを隠しながら俺は答えた。
差出人は島津義弘だった。
殿が目を通したあと、俺も読ませて貰った。
「相変わらず誤字脱字が多いですね」
そう長くはない手紙であるのに、読むのに随分時間が掛かった。
「別段用件も無く、ただの機嫌伺、もとい暇潰しの手紙のようですね」
俺は心なしか安心しながら書状を畳んだ。
「僕がどうしているか気になっているのかな」
「それは政治的な意味合いで、ですか?」
俺がそう訊ねると、殿は「たぶん違うよ」と答えた。
「義弘さんは、お兄さんと違って僕を居候くらいにしか見ていなかったから」
昔、殿が言っていた。
義弘の実兄であり島津宗家の当主である義久は、人質としてやって来た殿を政治の駆け引き道具としてしか見ていなかったようだ。
それは当然のことであるが、幼かった殿にはその目がとても恐ろしかったらしい。
怯えてひとり部屋の隅に居ると、義弘が笑顔で薩摩揚げを持って来て、食わせてくれたと言う。
食い物を与えてくれる人はいい人、という等式が疑いも無く成り立つ殿である。
そのときから義弘によく懐き、義弘も3人目の弟ができたように可愛がってくれたようだ。
「返事、書くよ」
殿は立ち上がり、机の前に座った。
殿様の御ため、俺は棚から上質の紙を選び出し、机の上に置いた。
そして殿が筆に墨を含ませている様子を見ながら、思った。
殿においては、加藤清正という存在を忘れないで欲しいと。
「よりあに」
筆を紙に近づけたとき、殿が不意に顔を上げた。
考えていることを読まれたかと、俺は若干構えた。
「よりあにが炬燵を出したこと、書いていい?」
殿は無邪気な目でそう言った。
少しの間のあと、「ええ、構いませんよ」と、拍子抜けしたのを隠しながら俺は答えた。
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午後、俺の元に新米の石高計算の報告書が上がってきたので、それを確認した後、殿に提出した。
「去年の3厘増しの収穫でした」
書類に目を徹していた殿は、
「3厘か。結構上がったね」
と感心していた。
少しずつ進めている新田開発が、確実に効果を上げているようであった。
「これに治水が完成すれば、もっと収穫できるようになるだろうね」
殿はそう言って書類を机の上に置いた。
「計算が終わりましたので、さっそく今夜は新米を夕食に出すようですよ」
このことは、収穫が始まった頃に既に台所の連中に頼んでいた。
倹約中なので腹一杯食べさせることはできないが、せめて味を楽しんでもらいたかった。
殿は「それは楽しみだな」と声を弾ませていた。
「しかし、殿。美味いものを食う前によく働くと、いっそう美味くなると聞きます。如何でしょうか」
俺は、収穫高の報告書と共に抱えてきた書類の山を殿の前に差し出した。
元が良いものでも、それに工夫を加えることで殿には最高の気分を味わっていただきたい。
これも殿様の御ためである。
殿の表情は一瞬で固まったが、俺は構わずに書類をもう一度殿の前に差し出した。
「去年の3厘増しの収穫でした」
書類に目を徹していた殿は、
「3厘か。結構上がったね」
と感心していた。
少しずつ進めている新田開発が、確実に効果を上げているようであった。
「これに治水が完成すれば、もっと収穫できるようになるだろうね」
殿はそう言って書類を机の上に置いた。
「計算が終わりましたので、さっそく今夜は新米を夕食に出すようですよ」
このことは、収穫が始まった頃に既に台所の連中に頼んでいた。
倹約中なので腹一杯食べさせることはできないが、せめて味を楽しんでもらいたかった。
殿は「それは楽しみだな」と声を弾ませていた。
「しかし、殿。美味いものを食う前によく働くと、いっそう美味くなると聞きます。如何でしょうか」
俺は、収穫高の報告書と共に抱えてきた書類の山を殿の前に差し出した。
元が良いものでも、それに工夫を加えることで殿には最高の気分を味わっていただきたい。
これも殿様の御ためである。
殿の表情は一瞬で固まったが、俺は構わずに書類をもう一度殿の前に差し出した。
会議を終えて部屋を出ると、いつの間にか雨が降り始めていた。
気が付いた頃は小雨だったが、すぐに土砂降りになった。
「キジ馬、遊びに出てるのに」
柵から身を乗り出して空を見上げ、殿が慌てて言った。
殿様の御ため、俺は殿と手分けして城の内外を探し回った。
すると、軒下からキジ馬の鳴き声が聞こえてきた。
鳴き声はキジ馬と言えど、野生のものがただ雨宿りをしていることもある。
俺は下に降りて軒下を覗き込んだ。
キジ馬と目が合い、こちらに寄ってきたので殿のキジ馬だと判断した。
俺はキジ馬を廊下に抱き上げて、持っていた手拭で体を拭いてやった。
他所のくにの家臣ならば、このような雑用は殿の身勝手だと受け取る者もあるだろう。
しかし、俺はこのようなことも嫌いではない。
周りの者に馬鹿正直だと言われても構わない。
家臣という身分をわきまえ、「殿に仕えてやっている」のではなく「殿に仕えさせて頂いている」という謙虚な姿勢を忘れずにいなければならないと思うのだ。
気が付いた頃は小雨だったが、すぐに土砂降りになった。
「キジ馬、遊びに出てるのに」
柵から身を乗り出して空を見上げ、殿が慌てて言った。
殿様の御ため、俺は殿と手分けして城の内外を探し回った。
すると、軒下からキジ馬の鳴き声が聞こえてきた。
鳴き声はキジ馬と言えど、野生のものがただ雨宿りをしていることもある。
俺は下に降りて軒下を覗き込んだ。
キジ馬と目が合い、こちらに寄ってきたので殿のキジ馬だと判断した。
俺はキジ馬を廊下に抱き上げて、持っていた手拭で体を拭いてやった。
他所のくにの家臣ならば、このような雑用は殿の身勝手だと受け取る者もあるだろう。
しかし、俺はこのようなことも嫌いではない。
周りの者に馬鹿正直だと言われても構わない。
家臣という身分をわきまえ、「殿に仕えてやっている」のではなく「殿に仕えさせて頂いている」という謙虚な姿勢を忘れずにいなければならないと思うのだ。
殿が炬燵に入りたいと言うので、俺は部屋に案内した。
「いいねぇ、温かい」
炬燵に入ると、殿はくつろいだ表情を浮かべた。
「温かいぶん、気分が落ち着いて眠くなってしまいますよ」
「そうだね…すごく気持ちいいや」
そう言った途端、殿は炬燵の台に突っ伏して眠ってしまった。
気絶するように寝た殿を見て俺は驚いたが、起こすのも気の毒に思われた。
よって、殿様の御ため、畳の上に枕を置いて殿を横にならせた。
一国の主だと言うのに、いつまで経っても子供のようだ。
しかし、それも良い。
やらねばならぬ時に本気で物事に臨めるのなら、日頃は気を抜いていても良い。
むしろ、強弱をつけた日々を送るほうが疲れないし、充実しているだろう。
俺はそう思いながら、30分ほど殿を寝かせた。
「いいねぇ、温かい」
炬燵に入ると、殿はくつろいだ表情を浮かべた。
「温かいぶん、気分が落ち着いて眠くなってしまいますよ」
「そうだね…すごく気持ちいいや」
そう言った途端、殿は炬燵の台に突っ伏して眠ってしまった。
気絶するように寝た殿を見て俺は驚いたが、起こすのも気の毒に思われた。
よって、殿様の御ため、畳の上に枕を置いて殿を横にならせた。
一国の主だと言うのに、いつまで経っても子供のようだ。
しかし、それも良い。
やらねばならぬ時に本気で物事に臨めるのなら、日頃は気を抜いていても良い。
むしろ、強弱をつけた日々を送るほうが疲れないし、充実しているだろう。
俺はそう思いながら、30分ほど殿を寝かせた。
余所見をしながら廊下を歩いていると、曲がり角で出会い頭に深水頼蔵とぶつかった。
その衝撃で、頼蔵が持っていた書類が廊下に散らばった。
「悪い」
俺はすぐに書類を拾い集め、頼蔵に渡した。
「すいませんね」
頼蔵はそう言って書類を受け取った。
「なぜお前が謝る。俺が余所見をしていたのが悪いだろう」
「そうですか?私もぼんやりと歩いていましたから」
頼蔵はにこにこと微笑んでいた。
こいつはいつも愛想がいい。
「お前は穏やかだな」
俺が見つけた深水頼蔵の良いところの最後のひとつ、3つ目は「温厚」だ。
下剋上のこの世の中、人が好いと競争に打ち負けることが多い。
現に、俺もそのような人物を数人見てきた。
「些細なことで突っ掛かり合い、無駄な争いを起こすのは嫌な性分ですので」
相変わらずにこにこと笑いながら頼蔵は言った。
「ただ、譲れない部分では遠慮は致しませんがね、頼兄殿」
眼鏡の奥の奴の目は、俺との実力争いは譲れないと語っていた。
「ああ、そう言えば」
頼蔵はふと表情を変えた。
「殿が、『よりあにの襟巻きを取った姿が想像できなくて、気になって仕事にならない』と仰っていましたよ」
そもそも想像する必要がないだろうに。
俺はそう思いつつも、「では殿の部屋に行っておく」と告げて頼蔵と別れようとした。
が、
「頼兄殿」
と呼び止められた。
「頼兄殿、私も気になります」
俺はとりあえず頼蔵に蹴りを入れて、殿様の御ため、怒濤の勢いで殿の部屋に向かった。
その衝撃で、頼蔵が持っていた書類が廊下に散らばった。
「悪い」
俺はすぐに書類を拾い集め、頼蔵に渡した。
「すいませんね」
頼蔵はそう言って書類を受け取った。
「なぜお前が謝る。俺が余所見をしていたのが悪いだろう」
「そうですか?私もぼんやりと歩いていましたから」
頼蔵はにこにこと微笑んでいた。
こいつはいつも愛想がいい。
「お前は穏やかだな」
俺が見つけた深水頼蔵の良いところの最後のひとつ、3つ目は「温厚」だ。
下剋上のこの世の中、人が好いと競争に打ち負けることが多い。
現に、俺もそのような人物を数人見てきた。
「些細なことで突っ掛かり合い、無駄な争いを起こすのは嫌な性分ですので」
相変わらずにこにこと笑いながら頼蔵は言った。
「ただ、譲れない部分では遠慮は致しませんがね、頼兄殿」
眼鏡の奥の奴の目は、俺との実力争いは譲れないと語っていた。
「ああ、そう言えば」
頼蔵はふと表情を変えた。
「殿が、『よりあにの襟巻きを取った姿が想像できなくて、気になって仕事にならない』と仰っていましたよ」
そもそも想像する必要がないだろうに。
俺はそう思いつつも、「では殿の部屋に行っておく」と告げて頼蔵と別れようとした。
が、
「頼兄殿」
と呼び止められた。
「頼兄殿、私も気になります」
俺はとりあえず頼蔵に蹴りを入れて、殿様の御ため、怒濤の勢いで殿の部屋に向かった。