時折風が吹くたびに俺は凍り、部屋から、炬燵から抜け出せなくなっていた。
しかし、炬燵に入っていても仕事はできる。
冬用の上着を羽織って暖かくし、黙々と紙を文字で埋めていった。
そうして順調に仕事を進めていると、殿から呼び出しがあった。
部屋に来いと言う。
俺は殿様の御ためと言い聞かせながら、冷え込んだ廊下を歩いた。
球磨の山中にいる獣のように、できることなら俺も冬眠したいと思った。
越冬は俺の最大の苦難である。
姿を見掛けると跡をつけ、柱の影から様子を窺った。
部屋に入ってしまうと、踏み込んでいくか出てくるまで待つかひたすら悩んだ。
一言で言えば、今日俺は深水頼蔵をつけまわしていた。
もちろん、例の123人目の訪問者からの要求を果たすためである。
だが、奴には1人でいる時間があまりない。
廊下を歩く際は、ほぼ確実に誰かと談笑しながら歩いている。
俺はとにかく頼蔵が1人の場面を狙っていたので、意を決し、次に奴が部屋に戻ってきたときに斬り込むことにした。
「頼兄殿、なにか御用ですか」
部屋の前で硬直しながら待っていると、いつもの腹の立つ微笑を浮かべた頼蔵が戻ってきた。
「この書類で訊きたいことがある」
俺は予め用意しておいた書類を差し出した。
当然ながら、実際はその書類に不明な点などはない。
「そうですか。では中で伺いましょう」
頼蔵は快く俺を部屋に通した。
勧められた座布団に座り、少し部屋の中を見回した。
女から贈られたものと思われる置き物が棚の上に並んでいた。
頼蔵は書類にさっと目を通すと、すぐに俺の疑問を解消した。
さらに、
「この書類のほかに、似た内容のものがありませんでしたか?それを見ればより詳細がわかりますよ。でも」
頼蔵は怪訝そうな顔になった。
「この案は、たとえ通ったとしても寿命は短いでしょうね。内容が対症的ですから、根本からの解決には程遠いでしょう」
そうか、と俺は呟いた。
「俺がお前のように物事を達観でき、その上細部まで分析する能力に長けていれば、わざわざお前のところに訊ねに行く必要もなかっただろうな」
しばらく沈黙が流れたが、頼蔵の失笑がそれを破った。
「それは褒め言葉として受け取っておきましょう」
明らかに不自然、かつ自分らしい嫌味のある言葉遣いに居たたまれなくなり、俺は頼蔵への礼もそこそこに自室に逃げ帰った。
あと2回である。
やりきれないが、俺が武士らしく約束を果たすことも殿様の御ためと考え、実行しようと思う。
午前中にひとつ、夕方にひとつ思いついたが、あとひとつが未だに思い浮かばない。
休みなく考えていると、良いところではなく「なぜ奴が嫌いなのか」について考え始めていた。
あのすました顔。
兵法の未熟さ。
さらに、奴の叔父である深水長智が俺を相良家の執政職に推してくれたにも関わらず、俺が深水一門でないことだけで深水一族の反対を受け、結局頼蔵と合議制の補佐役になってしまったこと。
なにしろ頭の回転が良いので、なにを言っても直ちに切り返してくることもまた然りである。
こんなことを延々と思い連ねていると、気分が鬱屈としてきたので、俺は気分転換に台所へ茶を貰いに行くことにした。
すると、運の悪いことに頼蔵が台所にいた。
茶を飲みながら、女中2人と雑談をしていた。
「や、頼兄殿。一緒にどうですか」
俺に気が付いた頼蔵が雑談に誘ったが、俺は断った。
「たまには娘さんと話をして、息抜きすればいいのに…それに」
頼蔵は俺に近寄った。
「娘好みの話題を知っておかないと、家柄を利用して嫁を貰っても愛想を尽かされますよ」
殿が、俺と頼蔵の仲の悪さを気に掛けていることは知っている。
しかし、いくら殿様の御ためと言えど、こいつだけは腹が立つし好きになれないのである。
洗濯担当の者たちは、ここぞとばかりに仕事に励み、新しく洗ったものを干しては乾いたものを畳んでいた。
よく晴れた空の下、干した着物が風にはためき、生活人としては健康的な光景であった。
「せっかくこんな天気なんだから、キジ馬を連れて城下町に散歩に行きたい」
殿がそう言い出すのも自然なことだった。
城下町は活気づいていた。
商人も農民の野菜売りも、物品や食料を買い求める客連中も底抜けに明るかった。
領民の元気な姿ほど、国主を勇気づけるものはない。
「こんな時代なのに、みんな元気だね。ものの値段も安定しているし、売り買いも活発みたいだ」
殿はぼんやり歩いているようで、店と客の値段交渉をしっかり聞いている。
そして時折、「ここの梅干し美味かったなぁ」と呟いたりする。
しばらく歩いたのち、殿が「喉が渇いた」と言うので、茶屋で休憩することになった。
甘えるのが好きなキジ馬は、椅子に腰を下ろした殿の膝の上に乗った。
俺は店主に声を掛け、茶と団子を2人前注文した。
「町に来てみんなの生活を見ていると、やるべき政治の具体的なものがわかる気がするよ。城の中で考えていたことが、根のない空理空論に思えてくる」
そう言って殿は団子にかじり付いた。
「それは、殿が毎日政治についてよく考えているから、そう思えるのではないでしょうか」
俺がこう言うと、殿は少し黙り、
「褒めても、あげられる団子は1個だけだよ」
と、残り3つの団子を惜しそうに見ながら言った。
俺は殿様の御ため、
「欲しければ追加注文いたしますので」
と言って茶を飲んだ。
今夜、矢文が届いた。
こんばんは。
123番目の閲覧者である匠です。
今回は私の意見投稿に賛同して頂き誠に有難うございます!!
さて、本題の要望ですが、熟考の末このようになりました↓。
『深水頼蔵氏の良い所を三つ挙げて、本人に直接言いに行く』
頼蔵氏ともっと仲良くして頂きたいので、要望してみました(^^)
そして、その一部始終を日記に書き記して下さい。
捏造とか駄目ですよ。
必ず実行して下さいねっ!
武士らしく、ひいては、殿の御ために貴公の今後の活躍を楽しみにしております。
では、またー(´∀`)ノシ
匠より
無理難題、と言えばそうであるが、一旦話を引き受けた以上、あとに引くことはできない。
努力してみようと思う。
この日記の123人目の閲覧者からであった。
123はきりのいい数字なので、これを記念してなんらかの催しを行わないのか、という内容のものだった。
こうしてわざわざ矢文を飛ばしてきたからには、応え報いるのが筋と言うものである。
しかし、物知らず故に、このような場合はなにをするべきかがわからない。
123人目の閲覧者においては、とくに要望があれば、それを提示していただきたいと思う。
犬童頼兄