昨夜は迂闊だった。
夜8時ごろに仕事を終え、自室に戻ってからの記憶がない。
気がつくと午前3時前であった。
炬燵に入ったまま眠ってしまったらしい。
もちろん、真夜中なので城中は静まり返っていた。
幸い月明かりがあったので、ろうそく無しでも辺りを見渡すことができた。
すると、炬燵の台の上に1枚の紙が置かれていた。
『10日の朝9時から重臣会議を開きますので、ご出席頂きますように。 深水頼蔵』
俺が寝ている間に、頼蔵が部屋に訪ねてきたらしい。
隙だらけの状態を、よりによって頼蔵に見られてしまった。
俺は思わず腹を切るところであった。
話変わって、今朝のことである。
会議の場である広間に向かう廊下で、頼蔵に出くわした。
奴は挨拶したのち、
「疲れは取れましたか?」
と尋ねた。
俺は、
「元々疲れてなどいない」
と答えようとしたが、やめた。
頼蔵があの書き置きをしていなければ、俺は今朝の会議に参加し損ねていたのである。
重臣会議に出席し、議題について討論することも殿様の御ためだ。
そうすると、頼蔵は恩人とも言えるであろう。
こう考えた俺は、
「あぁ」
と素直に頷いた。
「それは良かった。でも、炬燵で寝ると風邪を引きやすくなりますから、お気をつけくださいね」
頼蔵は、眼鏡の奥の目を細めて笑っていた。
夜8時ごろに仕事を終え、自室に戻ってからの記憶がない。
気がつくと午前3時前であった。
炬燵に入ったまま眠ってしまったらしい。
もちろん、真夜中なので城中は静まり返っていた。
幸い月明かりがあったので、ろうそく無しでも辺りを見渡すことができた。
すると、炬燵の台の上に1枚の紙が置かれていた。
『10日の朝9時から重臣会議を開きますので、ご出席頂きますように。 深水頼蔵』
俺が寝ている間に、頼蔵が部屋に訪ねてきたらしい。
隙だらけの状態を、よりによって頼蔵に見られてしまった。
俺は思わず腹を切るところであった。
話変わって、今朝のことである。
会議の場である広間に向かう廊下で、頼蔵に出くわした。
奴は挨拶したのち、
「疲れは取れましたか?」
と尋ねた。
俺は、
「元々疲れてなどいない」
と答えようとしたが、やめた。
頼蔵があの書き置きをしていなければ、俺は今朝の会議に参加し損ねていたのである。
重臣会議に出席し、議題について討論することも殿様の御ためだ。
そうすると、頼蔵は恩人とも言えるであろう。
こう考えた俺は、
「あぁ」
と素直に頷いた。
「それは良かった。でも、炬燵で寝ると風邪を引きやすくなりますから、お気をつけくださいね」
頼蔵は、眼鏡の奥の目を細めて笑っていた。
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城の一角に、栗の木を植えている場所がある。
毎年よい実が生るため、台所の連中がよく採集している。
俗に言う「栗拾い」であるが、それを台所の者から聞いた殿が目を輝かせた。
「懐かしいなあ。よりあに、またやりたい」
その輝いた目のまま、殿は俺のほうを振り返ってそう言った。
俺は思わずその目から顔を背けながら、「いいですよ」と答えた。
まるで、真夏の太陽の光を反射する川面のような眩しさであった。
密生している栗の木の周囲には、大きないがが互いに狭そうに地面に転がっていた。
殿は、それらを採っては背中の籠に投げ入れた。
ふと、そのとき。
的の外れたいがが、殿のうしろに居た俺のほうへ飛んできた。
手で受け取る訳にもいかず、また、刀を抜いて一刀両断する訳にもいかない。
避けるしか方法はなかったが、いがは丁度襟巻きに引っ掛かった。
「あ」
殿は驚いた顔で振り向いた。
「ごめん…」
殿はそう呟いたが、殿様の御ため、俺は、
「いがのひとつやふたつ、気にするまでもありません」
と言った。
戦場では、いがなどより殺傷能力の優れた弾や矢が飛び交っている。
よって、いがが飛んでくることに対してはそう神経質になる必要はない。
しかし、襟巻きにいがを乗せた格好を見られたことは恥だと思った。
それを殿に言うと、殿は、
「なんだか秋らしく見えるよ」
と、どこか羨ましげな目で俺を見た。
紅葉ならば、さまになりますけども。
その後、殿たちが栗を拾っている間、俺は襟巻きのいがを取る作業に没頭していた。
拾い終わったあと、台所の者が恐る恐る「この栗はかち栗に致しましょうか」と提案した。
殿が快く賛成したため、その者はやりがいを得たように意気揚々とした表情になった。
かち栗とは、「かち」と「勝ち」を掛けた武家の縁起物である。
台所の者もまた、俺とは違った角度から殿様の御ために考えを尽くしているようだ。
末端の者までこの様子であるのだから、相良のお家は、軸のしっかりとした奉公態勢だと思われる。
とても良いものを見られた栗拾いであった。
毎年よい実が生るため、台所の連中がよく採集している。
俗に言う「栗拾い」であるが、それを台所の者から聞いた殿が目を輝かせた。
「懐かしいなあ。よりあに、またやりたい」
その輝いた目のまま、殿は俺のほうを振り返ってそう言った。
俺は思わずその目から顔を背けながら、「いいですよ」と答えた。
まるで、真夏の太陽の光を反射する川面のような眩しさであった。
密生している栗の木の周囲には、大きないがが互いに狭そうに地面に転がっていた。
殿は、それらを採っては背中の籠に投げ入れた。
ふと、そのとき。
的の外れたいがが、殿のうしろに居た俺のほうへ飛んできた。
手で受け取る訳にもいかず、また、刀を抜いて一刀両断する訳にもいかない。
避けるしか方法はなかったが、いがは丁度襟巻きに引っ掛かった。
「あ」
殿は驚いた顔で振り向いた。
「ごめん…」
殿はそう呟いたが、殿様の御ため、俺は、
「いがのひとつやふたつ、気にするまでもありません」
と言った。
戦場では、いがなどより殺傷能力の優れた弾や矢が飛び交っている。
よって、いがが飛んでくることに対してはそう神経質になる必要はない。
しかし、襟巻きにいがを乗せた格好を見られたことは恥だと思った。
それを殿に言うと、殿は、
「なんだか秋らしく見えるよ」
と、どこか羨ましげな目で俺を見た。
紅葉ならば、さまになりますけども。
その後、殿たちが栗を拾っている間、俺は襟巻きのいがを取る作業に没頭していた。
拾い終わったあと、台所の者が恐る恐る「この栗はかち栗に致しましょうか」と提案した。
殿が快く賛成したため、その者はやりがいを得たように意気揚々とした表情になった。
かち栗とは、「かち」と「勝ち」を掛けた武家の縁起物である。
台所の者もまた、俺とは違った角度から殿様の御ために考えを尽くしているようだ。
末端の者までこの様子であるのだから、相良のお家は、軸のしっかりとした奉公態勢だと思われる。
とても良いものを見られた栗拾いであった。
薩摩の漁師と商売をしている者が、「殿様方に」と言って秋刀魚の干物を置いて帰ったらしい。
台所の者は早速それらを料理し、殿や側近らの夕食に出した。
俺の膳にも、秋刀魚が大胆に丸々1匹鎮座していた。
経費削減が行われ始めてから、食事は台所の者が採集した山菜などが中心になっていた。
俺はむしろ今のほうが好みであるが、腹を太らせるための飯まで減らした殿には物足りない様子であった。
殿様の御ためにあえてそのことには口出ししないものの、やはり好きなことを我慢し続けると、精神衛生上よくないのではないだろうか。
ふとそう考えるようになっていたので、今日は殿様の御ため、俺の秋刀魚を半分に分けて頭のほうを殿に差し上げた。
それを殿は美味そうに食っていた。
殿は食っているときが最も幸せそうである。
俺は、殿に仕え始めてから毎日毎食その顔を見てきたので当然のように思っていたが、実はそれが「今日も殿は元気だ」と確認して安堵できる唯一ならびに最高の判断材料であることに改めて気付かされた。
当たり前のことこそかけがえのないことである、とはよく聞く。
俺が目指している殿様の御ためも、家臣として当たり前のことの中にあるのかもしれない。
それにしても、秋刀魚とやらは半分でも腹にこたえるような味の濃さだ。
俺は見掛けた猫に秋刀魚の骨を与えながら、口直しの茶を飲んだ。
午後、部屋の物入れを漁っていた殿は鏡を取り出した。
突如として自我に目覚めたのかと思ったが、それは俺の勘違いで、殿は鏡をキジ馬の前に置いた。
前触れもなく現れたもう1頭のキジ馬に、殿のキジ馬は興味津々に見入っていた。
そして徐々に近づいてみると、相手も同じように近づいてくる。
右に行けば右へ、左へ行けば左に動く。
「きゅ~?」
キジ馬は不思議そうに首…頭をかしげた。
その様子を眺めていた殿は、
「可愛いなぁ~」
と愛おしそうに笑っていた。
どうやら殿は、キジ馬のこの様子を見たいがためにわざわざ鏡を探し出したようだ。
こうやって殿が仕事を怠けているにもかかわらず、俺はなにも言わなかった。
なぜなら、かつて俺も幼い殿に鏡を見せ、遊んだことがあるからだ。
そして、殿もキジ馬と同じ反応を示した。
この事実は殿に告げるべきではない。
殿様の御ため、かつ俺の身のため、俺は素知らぬ振りをして仕事を進めた。
それにしても、人は似たようなことを考えるものだ。
突如として自我に目覚めたのかと思ったが、それは俺の勘違いで、殿は鏡をキジ馬の前に置いた。
前触れもなく現れたもう1頭のキジ馬に、殿のキジ馬は興味津々に見入っていた。
そして徐々に近づいてみると、相手も同じように近づいてくる。
右に行けば右へ、左へ行けば左に動く。
「きゅ~?」
キジ馬は不思議そうに首…頭をかしげた。
その様子を眺めていた殿は、
「可愛いなぁ~」
と愛おしそうに笑っていた。
どうやら殿は、キジ馬のこの様子を見たいがためにわざわざ鏡を探し出したようだ。
こうやって殿が仕事を怠けているにもかかわらず、俺はなにも言わなかった。
なぜなら、かつて俺も幼い殿に鏡を見せ、遊んだことがあるからだ。
そして、殿もキジ馬と同じ反応を示した。
この事実は殿に告げるべきではない。
殿様の御ため、かつ俺の身のため、俺は素知らぬ振りをして仕事を進めた。
それにしても、人は似たようなことを考えるものだ。
いつの間にか蝉は死に絶えていた。
早朝から1匹2匹ずつ鳴き始め、次第に庭が蝉の鳴き声で充満していくような活発な生命力は、すでに過去のものになったようである。
これから短い秋を経て、すぐに冬がやってくるであろう。
俺の最も苦手な季節だ。
肥後は南国と言えど、冬にはやはり雪が積もる。
そのうえ球磨川から川霧が立ち、昼が過ぎても消えずに漂っていることがよくある。
この霧のために、余計に寒さが増す。
ここ球磨の地の気候条件は、とことん俺に合わない。
それでも、冬になるとつい思い出す出来事がある。
昔、お家伝来の壺に悪戯をした殿が、父の義陽公に叱られ、城外に閉め出されたことがある。
よく雪の積もっている日だった。
俺は許しを請うために義陽公の部屋に入ろうとしたが、中から義陽公と殿の母の声が聞こえてきた。
その雰囲気のために中に入ることが憚られ、俺は部屋の前を素通りした。
のちに、俺は殿の母に呼び出され、殿を迎えに行ってやって欲しいと言われた。
話を聞いたところ、義陽公からなんとかお許しをいただけたということだった。
きっと、我が子のために頭を下げて謝り続け、冷たい雪の中から救ってやりたいという一心だったのだろう。
俺が迎えに出向くと、殿は泣き腫らした目で俺を見上げた。
父親が許してくれた旨を告げて城に連れて帰り、雪に濡れた着物を着替えさせて温かいものを飲ませた。
父の厳しさも、母の優しさも、たいせつなものである。
殿様の御ためも、この両者を基本として生じるものなのかもしれない。
休日の午後、炬燵を準備しながらそんなことを考えた。
早朝から1匹2匹ずつ鳴き始め、次第に庭が蝉の鳴き声で充満していくような活発な生命力は、すでに過去のものになったようである。
これから短い秋を経て、すぐに冬がやってくるであろう。
俺の最も苦手な季節だ。
肥後は南国と言えど、冬にはやはり雪が積もる。
そのうえ球磨川から川霧が立ち、昼が過ぎても消えずに漂っていることがよくある。
この霧のために、余計に寒さが増す。
ここ球磨の地の気候条件は、とことん俺に合わない。
それでも、冬になるとつい思い出す出来事がある。
昔、お家伝来の壺に悪戯をした殿が、父の義陽公に叱られ、城外に閉め出されたことがある。
よく雪の積もっている日だった。
俺は許しを請うために義陽公の部屋に入ろうとしたが、中から義陽公と殿の母の声が聞こえてきた。
その雰囲気のために中に入ることが憚られ、俺は部屋の前を素通りした。
のちに、俺は殿の母に呼び出され、殿を迎えに行ってやって欲しいと言われた。
話を聞いたところ、義陽公からなんとかお許しをいただけたということだった。
きっと、我が子のために頭を下げて謝り続け、冷たい雪の中から救ってやりたいという一心だったのだろう。
俺が迎えに出向くと、殿は泣き腫らした目で俺を見上げた。
父親が許してくれた旨を告げて城に連れて帰り、雪に濡れた着物を着替えさせて温かいものを飲ませた。
父の厳しさも、母の優しさも、たいせつなものである。
殿様の御ためも、この両者を基本として生じるものなのかもしれない。
休日の午後、炬燵を準備しながらそんなことを考えた。