薩摩の漁師と商売をしている者が、「殿様方に」と言って秋刀魚の干物を置いて帰ったらしい。
台所の者は早速それらを料理し、殿や側近らの夕食に出した。
俺の膳にも、秋刀魚が大胆に丸々1匹鎮座していた。
経費削減が行われ始めてから、食事は台所の者が採集した山菜などが中心になっていた。
俺はむしろ今のほうが好みであるが、腹を太らせるための飯まで減らした殿には物足りない様子であった。
殿様の御ためにあえてそのことには口出ししないものの、やはり好きなことを我慢し続けると、精神衛生上よくないのではないだろうか。
ふとそう考えるようになっていたので、今日は殿様の御ため、俺の秋刀魚を半分に分けて頭のほうを殿に差し上げた。
それを殿は美味そうに食っていた。
殿は食っているときが最も幸せそうである。
俺は、殿に仕え始めてから毎日毎食その顔を見てきたので当然のように思っていたが、実はそれが「今日も殿は元気だ」と確認して安堵できる唯一ならびに最高の判断材料であることに改めて気付かされた。
当たり前のことこそかけがえのないことである、とはよく聞く。
俺が目指している殿様の御ためも、家臣として当たり前のことの中にあるのかもしれない。
それにしても、秋刀魚とやらは半分でも腹にこたえるような味の濃さだ。
俺は見掛けた猫に秋刀魚の骨を与えながら、口直しの茶を飲んだ。
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