昼過ぎ、殿宛てに書状が届いた。
北肥後の加藤清正からであった。
北肥後には、加藤清正と小西行長がいる。
地理的にこのくにと近いのは小西領であるが、事が起こると殿を与力とするのは加藤清正だった。
そういう理由もあってか、殿は小西よりも清正と仲がいい。
しかし今ごろ書状とは何事だろうか、と俺は殿がそれを読む横で思案した。
殿が読み終えたころを見計らって、内容を訊ねた。
すると殿は、
「近況報告も兼ねて、また遊びに来いってさ」
とにこにこしながら書状を畳んだ。
それだけですか、と問うと、殿は「うんそれだけ」と答えた。
あの髭面男、余程暇なのだろうか。
しかし、あの加藤清正に「遊びに来い」と言わせるような殿も殿だ。
加藤主計頭清正は肥後半国の19万5000石を有する大名で、気性が激しく、一言余計であるからすぐに人と揉め事を起こす。
剣の腕が立ち戦好きであるせいか、文官の石田三成とは格別に不仲であるらしい。
そんな一癖ある人物である清正でさえ、殿には気を許している。
ついでなので思い返してみると、原因はあのときにあるのではないかと思われた。
殿が相良の当主になったばかりの5年前、初めて清正に挨拶をしに行った。
俺も熊本城に同行し、その席に同席した。
時の巡り会わせ悪く、その日の清正は機嫌が悪かった。
田舎大名、しかもまだ12歳の子供が来るということで、面倒だったのだろう。
その場の空気は、比類なきほどまでに神経質だった。
型通りの挨拶が終わり、清正がもういいだろうと腰を上げかけたとき、殿が「加藤さん」と声を掛けた。
このガキ、なにを言うつもりか、と俺が思った。
「この城、格好いいから色々見せてもらいたいんですけど、いいですか?」
すこし間が空いて、清正の口の端に笑みが浮かんだ。
「え、そうか?格好いいか?」
「はい。あそこの反ってるところ(=武者返し)とか…あれ、なんですか?」
清正は、「じゃ、じゃあ、せっかくだから案内してやるよ」と冷静を装ってはいたが明らかに浮ついてそう言った。
熊本城は清正自慢の城である。
それをさり気なく、子供らしく誉めたので清正も嬉しくなったのであろう。
以降、清正は殿を可愛がるようになった。
しかし、殿は清正の城好きを知っていたのだろうか。
知らずにあんなことを言ったのならともかくも、知っていて言ったのなら、なかなか策士である。
真相はいまだにわかっていない。
その真相に思いを巡らせながら、殿様の御ため、俺は殿の熊本行きの予定を調整しよう。