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マイナー武将のメジャー家老・犬童頼兄による日記。
 
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夜明け頃に目が覚め、障子の向こう側から静かに雨音が聞こえたときは落胆した。
しかし、心境は複雑だった。
長居をされるとそれだけこちらの情報を知る機会を与えてしまうが、帰国させれば、こちらで知り得たすべてを義久に報告されてしまう。
こちら側にとってはどちらも不都合だった。
午後、頼蔵控えのもとで殿と覚兼が雑談を楽しんでいる頃、俺は自室でお家のためにはどうするべきかを考えていた。
だが、良案良策は浮かばず、焦りが募るばかりだった。
どれほどの時間が経ったのか、ふと気が付くと、そろそろ茶菓子を出さねばならない時間になっていた。
俺は台所に行き、予め準備されていた生のたい焼きを見て無性に焼きたくなった。
「やらせてくれ」と言い、台所の者が止める声にも耳を貸さず、たい焼きを延々と焼き続けた。
皿の上に狐色になったたい焼きが積まれ、台所に香ばしい匂いが満ち始めた頃、岡本頼氏殿が通り掛かった。
「頼兄殿、疲れているのですか」
頼氏殿には、俺が思い詰めているように見えたらしい。
殿様の御ためになる方法が考え付かないのです」
俺は網の上のたい焼きを少し起こし、焼き加減を覗き込みながら言った。
「岡本殿も1匹如何ですか」
焼きたてを小皿に取り、頼氏殿に差し出した。
「ではおひとつ貰いますから、あとはここの者に任せて、一緒に休憩いたしましょう」
頼氏殿は、俺を引っ張って部屋に連れて行った。
俺が抱えていることがそう易々と言えないことであると察してくれた頼氏殿は、仕事上の日常的な問題の解決法をさり気なく話してくれた。
核心に触れることのないそのさり気なさが有り難かった。
頼氏殿が教えてくれたことを元にして、お家を守るための方法を考えようと思う。
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(劇)池田商会制作様
2008年9月14日、九州戦国史を描く演劇を上演されました
主役は犬童頼兄!



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キリ番訪い者様へのお返事
・1年目2月17日300訪いの方
ご訪問ありがとうございます。
「青森県弘前市に相良姓または犬童姓の人が今もいるのか」という内容のご意見をいただきました。申し訳ないことに管理人も断言できるほどの知識はありませんが、答えられる限りお答えしたいと思います。
根拠に用いるには説得力が疑われますが、Wikipediaによると、子孫は「名字を変えて」津軽藩に仕えたとあります。よって、相良姓・犬童姓は頼兄の代で終わったとも考えられます。しかし、犬童頼兄は津軽で罪人として扱われず、教養人として津軽藩の藩士の育成に貢献していたようですから、わざわざ身の上を憚り名字を変える必要性は無かったのではないでしょうか。さらに、町の名前として弘前市相良町が残っています。このことからも、仮に一旦頼兄の代で相良姓が絶えたとしても、江戸期に家系を遡り相良姓を再び名乗り始めた可能性も考えられます。
憶測ばかりで答えになっておりませんが、管理人は今も相良姓を名乗る人がいるのではないかと思っております。この度はご訪問・ご意見ありがとうございました。
※結論確定いたしました※
人吉城歴史館の学芸員の方にお話をお伺いして参りました。
人吉にも弘前にも、流罪後の頼兄に関する史料は残っていないようです。そのため、弘前に頼兄つながりの相良姓・犬童姓が残ったかどうかを確認することはできかねるということでした。
よりあに書簡
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よりあに書簡(別窓開きます)
相良頼房史実プロフィール
1574年生まれ。
第18代当主・義陽の次男として生まれ、父の戦死後は人質として薩摩に赴き、兄の死後は第20代当主となった。
関ヶ原合戦や大阪の陣を経験する。
犬童頼兄の補佐を受け、数々の場面で助けられるも、彼の勝手な振る舞いが悩みの種だった。
犬童頼兄史実プロフィール
生年不詳。
生家の犬童家は、肥後の奥地を治める相良氏に代々仕える。
相良家の2万2000石に対し、半分近い8000石を有した。
のちに相良頼兄、相良清兵衛頼兄と名乗る。
主家の維持に尽力するも、後年、専横の振舞いが目立ったため主家によって幕府に訴えられ、津軽藩に流される。
それに反発した一族が相良家に乱を起こし、一族全員121人が討死した。
弘前市相良町は頼兄の屋敷地に由来する。
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HN:
犬童頼兄
性別:
非公開
職業:
相良家筆頭家老
趣味:
策略謀略
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