俺は、女中の連中から無駄に恐れられている。
嫌われていると言うよりも、どちらかと言うと不気味に思われているようだ。
今日の昼休み、日当たりのいい縁側でひとり、なにをするわけでもなくぼんやりとしていた。
すると、庭の端の木陰に座って談笑している3、4人の女中の姿が目に入った。
ほんの一瞬視界に入っただけであったが、その一瞬、女中の1人と目が合った。
その途端にそいつは顔が青くなり、他の連中に俺が居ることを膝を叩いて知らせると、
「申し訳ございません。すぐ仕事に戻ります」
と言って全員俺に一礼し、その場から去っていった。
まだ十分昼休みの時間は残っていた。
加えて、休みが終わるすこし前に、女中の仕事場の付近を通り掛ると、ほんとうに仕事をしていた。
俺は仕事の目付け役でもないし、女中の連中が仕事をしようが怠けようが、知ったことではない。
だが、俺が恐怖政治のように連中に仕事をさせても、間接的にそれが殿様の御ためになるのなら、それでも構わない。
怪談という類のものではないが、俺も一応そんな奇妙な体験をしたことがある。
10年近く前の冬、12月2日だった。
俺はそのとき、殿の
前日から、俺の父や他の家臣たちは先々代に従って出陣していたが、俺は寒がりだから使えないという理由で参加することを許されていなかった。
この点についてもいろいろと言いたいことがあるが、いまは置いておく。
その日は、雪でも降り始めそうな寒い夜だった。
俺は部屋で机に向かって仕事をし、殿はそのうしろでキジ馬と遊んでいた。
だいたい8時ごろであったと思う。
それまでキジ馬と戯れていた殿が、突然大きな声で泣きはじめた。
俺は驚いて筆を落とし、慌てて殿の元に寄ってどうしたのかと訊いた。
キジ馬に指を噛まれでもしたのかと考えていたが、殿は「お父さんが」と繰り返すばかりだった。
キジ馬も、なにが起こったのかわからない様子である。
俺はとにかく殿を落ち着かせようとしたが、それもままならず、殿の声を聞いた深水頼蔵や留守居の家臣たちが部屋に押し入ってきて、『長寿丸様(=殿の幼名)になにをしたのか』と俺を詰問しはじめた。
結局、その夜は「あなたがなにかしたのだろう」と言う頼蔵と、「なにもしていない」と主張する俺の押し問答で終わった。
翌日、城に入ってきた情報によって、殿の父親が戦死したことが分かった。
日が経ち、大勢が戦死したなか生き延びて帰ってきた家臣に、俺は戦の話を聞いていた。
すると、「だいたい8時頃、敵が奇襲を掛けてきて、殿は戦死された」とその家臣は言った。
俺は合点が行くと同時に、「まさか」と思った。
殿に合戦場の様子を知る手立てなど無いし、よもや父親が戦死すると考えていたわけでもないだろう。
やはり、父親が死んだ瞬間、なにかを感じ取ったのだろうか。
俺は、殿に直接その真偽を確かめようとした。
しかし、その頃は、殿の兄に家督を継がせるための島津側との交渉に忙しい時期で、その上、兄を立てる代わりに殿が薩摩に人質に行かねばならない状況であった。
よって、そのようなことを訊く暇も無かった。
そして、これまで話題に出したこともない。
なぜなら、訊くまでもなかったからだ。
殿が兄の跡を継ぐためにこの城に帰ってきてから数日後、
「父さんみたいに、床机に座ったまま討たれるのはすごい覚悟だよね」
と言った。
合戦場にいたのは、相良の兵だけであったと言う。
だれも殿にあの合戦の話はしていなかった。
しかし、俺はあんな脂っこいものは苦手だ。
そこで、殿の部屋に戻って握り飯を
「殿、今晩の夕食はご一緒してもよろしいですか」
と訊いた。
殿は怪訝な表情もせず、「うんいいよ」と機嫌よく答えた。
夕食が運ばれてくると、滅多にうなぎなど食べられないので、殿は大喜びだった。
食うことに関しては喜楽しかない。
俺は予めうなぎを4:6の大きさに切り分け、大きいほうを小皿にとって
「殿、よろしければお食べください」
と差し出した。
殿は飯を頬張ったままきょとんとしていたが、「どうぞ」と俺が促すと、「じゃあいただきます」と小皿を手に取った。
計画通り。
殿のことであるから、俺が急に夕食を共にしたがったことも、やたら大きめのうなぎを差し出したことも、気にすまい。
なんせ殿は、そこに食うことが絡んでくると細かいことに目がいかない性質である。
仮に、俺の苦手なものを片付ける道具とされたことに気がついても、「うまいものを食えたから構わない」、むしろ「儲けたな」と思うくらいだ。
俺には「若いうちにこういうものを召し上がったほうがいいので、殿様の御ために」という理屈もある。
完璧だ。
しかし。
うなぎすら受け付けなくなってしまった俺は、年を取ったのかもしれない(悲)。
用事を済ませて再び殿の部屋に戻って来ると、殿は若干寝ぼけたような顔で机に向かっていた。
「殿、寝ていましたね?」
と俺が訊ねると、殿は「寝てないよ」と本を読みながら言った。
「嘘ですね。顔に畳のあとがついています」
殿はすこしの間黙っていたが、観念すると、「ごめん…」と気まずそうに呟いた。
殿様の御ため、俺はとりあえず蹴りを入れて差し上げた。
が、しかし、かわされた。
昼過ぎ、殿宛てに書状が届いた。
北肥後の加藤清正からであった。
北肥後には、加藤清正と小西行長がいる。
地理的にこのくにと近いのは小西領であるが、事が起こると殿を与力とするのは加藤清正だった。
そういう理由もあってか、殿は小西よりも清正と仲がいい。
しかし今ごろ書状とは何事だろうか、と俺は殿がそれを読む横で思案した。
殿が読み終えたころを見計らって、内容を訊ねた。
すると殿は、
「近況報告も兼ねて、また遊びに来いってさ」
とにこにこしながら書状を畳んだ。
それだけですか、と問うと、殿は「うんそれだけ」と答えた。
あの髭面男、余程暇なのだろうか。
しかし、あの加藤清正に「遊びに来い」と言わせるような殿も殿だ。
加藤主計頭清正は肥後半国の19万5000石を有する大名で、気性が激しく、一言余計であるからすぐに人と揉め事を起こす。
剣の腕が立ち戦好きであるせいか、文官の石田三成とは格別に不仲であるらしい。
そんな一癖ある人物である清正でさえ、殿には気を許している。
ついでなので思い返してみると、原因はあのときにあるのではないかと思われた。
殿が相良の当主になったばかりの5年前、初めて清正に挨拶をしに行った。
俺も熊本城に同行し、その席に同席した。
時の巡り会わせ悪く、その日の清正は機嫌が悪かった。
田舎大名、しかもまだ12歳の子供が来るということで、面倒だったのだろう。
その場の空気は、比類なきほどまでに神経質だった。
型通りの挨拶が終わり、清正がもういいだろうと腰を上げかけたとき、殿が「加藤さん」と声を掛けた。
このガキ、なにを言うつもりか、と俺が思った。
「この城、格好いいから色々見せてもらいたいんですけど、いいですか?」
すこし間が空いて、清正の口の端に笑みが浮かんだ。
「え、そうか?格好いいか?」
「はい。あそこの反ってるところ(=武者返し)とか…あれ、なんですか?」
清正は、「じゃ、じゃあ、せっかくだから案内してやるよ」と冷静を装ってはいたが明らかに浮ついてそう言った。
熊本城は清正自慢の城である。
それをさり気なく、子供らしく誉めたので清正も嬉しくなったのであろう。
以降、清正は殿を可愛がるようになった。
しかし、殿は清正の城好きを知っていたのだろうか。
知らずにあんなことを言ったのならともかくも、知っていて言ったのなら、なかなか策士である。
真相はいまだにわかっていない。
その真相に思いを巡らせながら、殿様の御ため、俺は殿の熊本行きの予定を調整しよう。