今日、殿は家臣数人と出掛けていた。
朝から出、夕方まで帰らない予定だったので、俺はキジ馬の昼のえさを与えるように指示された。
そういう訳もあり、キジ馬を自室に連れてきていたが、キジ馬は鞠を転がしたり、上に乗ろうとして滑り落ちたり、とりあえずおとなしく遊んでいた。
正午が近くなると、俺がそのことに気付くより前に、キジ馬が俺のほうに寄ってきた。
俺が仕事をしていることに遠慮してか、裾は引っ張らずにただこちらを見ていた。
ただ見られるほうが重圧感を感じることを、キジ馬は知っていてするのだろうか。
それはさすがに無いだろう、と思いながら筆を置き、書類を片付け始めると、キジ馬が「きゅー」と嬉しそうに鳴いた。
俺は殿が書いた「キジ馬のえさの作り方」の紙切れを持って所定の場所へ行き、キジ馬の視線を受けながらえさを作ってやった。
それから縁側に行き、皿を置くとキジ馬は黙々と食べ始めた。
俺はその横で、見るとでもなくその様子を見ていた。
のどかすぎる。
そう思うと、まるで隠居したような気分になった。
通り掛かった深水頼蔵にも、
「頼兄殿、まるで現役を退いたようですね」
と、まぶしいほどの笑顔で言われた。
「願い事は、俺でなく流れ星にでも言っておけ」
大事なキジ馬の世話を任せてくれる殿様の御ため、俺はまだ引退するつもりはない。
朝から出、夕方まで帰らない予定だったので、俺はキジ馬の昼のえさを与えるように指示された。
そういう訳もあり、キジ馬を自室に連れてきていたが、キジ馬は鞠を転がしたり、上に乗ろうとして滑り落ちたり、とりあえずおとなしく遊んでいた。
正午が近くなると、俺がそのことに気付くより前に、キジ馬が俺のほうに寄ってきた。
俺が仕事をしていることに遠慮してか、裾は引っ張らずにただこちらを見ていた。
ただ見られるほうが重圧感を感じることを、キジ馬は知っていてするのだろうか。
それはさすがに無いだろう、と思いながら筆を置き、書類を片付け始めると、キジ馬が「きゅー」と嬉しそうに鳴いた。
俺は殿が書いた「キジ馬のえさの作り方」の紙切れを持って所定の場所へ行き、キジ馬の視線を受けながらえさを作ってやった。
それから縁側に行き、皿を置くとキジ馬は黙々と食べ始めた。
俺はその横で、見るとでもなくその様子を見ていた。
のどかすぎる。
そう思うと、まるで隠居したような気分になった。
通り掛かった深水頼蔵にも、
「頼兄殿、まるで現役を退いたようですね」
と、まぶしいほどの笑顔で言われた。
「願い事は、俺でなく流れ星にでも言っておけ」
大事なキジ馬の世話を任せてくれる殿様の御ため、俺はまだ引退するつもりはない。
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今朝、殿の部屋に朝の挨拶に行くと、殿に「風邪を引いてないか」と訊かれた。
昨日俺が夕立に濡れたことを気に掛けていたようだった。
俺は「大丈夫ですよ」と答えて、殿の部屋を引き下がった。
仕事柄、他国の殿と会う機会が多いが、うちの殿ほど細かいことに気遣いができる殿はいない。
これも他家で人質生活を送ったからであろう。
仕える身としては過ごしやすいが、殿が穏やかなぶん、ついこちらが専横をふる
今日は、先日御中元を送った島津・加藤のうち、島津家から礼の品が送られてきた。
殿は、
「礼状だけでいいのに、品物も送ってくれるなんて気が引けるなあ」
と言いつつも嬉しそうであった。
品は、薩摩名産の芋焼酎と茄子の漬物だった。
きっと焼酎は当主の義久が、漬物は弟の義弘が無理矢理ねじ込んだのであろう。
よく見ると、義久の書状のなかにもう1通が同封されていた。
『兄上 義弘殿と共に育てた茄子でつくりました。どうぞ召し上がってください』
殿の弟の長誠様がしたためた手紙であった。
1枚の紙に数行の言葉であったが、殿はほころんだ表情で、何度も読み返しているようであった。
この際、義弘が当家の次男・三男になぜ畑仕事を仕込むのかは考えないでおこうと思う。
俺は殿様の御ため、そのあと焼酎と漬物を山の湧き水でよく冷やしておいた。
今夜の酒とつまみを、より美味しく食べてもらう手助けになれば幸いである。
昨日俺が夕立に濡れたことを気に掛けていたようだった。
俺は「大丈夫ですよ」と答えて、殿の部屋を引き下がった。
仕事柄、他国の殿と会う機会が多いが、うちの殿ほど細かいことに気遣いができる殿はいない。
これも他家で人質生活を送ったからであろう。
仕える身としては過ごしやすいが、殿が穏やかなぶん、ついこちらが
今日は、先日御中元を送った島津・加藤のうち、島津家から礼の品が送られてきた。
殿は、
「礼状だけでいいのに、品物も送ってくれるなんて気が引けるなあ」
と言いつつも嬉しそうであった。
品は、薩摩名産の芋焼酎と茄子の漬物だった。
きっと焼酎は当主の義久が、漬物は弟の義弘が無理矢理ねじ込んだのであろう。
よく見ると、義久の書状のなかにもう1通が同封されていた。
『兄上 義弘殿と共に育てた茄子でつくりました。どうぞ召し上がってください』
殿の弟の長誠様がしたためた手紙であった。
1枚の紙に数行の言葉であったが、殿はほころんだ表情で、何度も読み返しているようであった。
この際、義弘が当家の次男・三男になぜ畑仕事を仕込むのかは考えないでおこうと思う。
俺は殿様の御ため、そのあと焼酎と漬物を山の湧き水でよく冷やしておいた。
今夜の酒とつまみを、より美味しく食べてもらう手助けになれば幸いである。
夕方、殿が部屋に居ないことに気がついた。
常日頃から、殿には「城中であっても、どこかに行くときは必ず自分に一言言うように」と伝えてある。
それにも関わらず、殿は俺になにも告げずに部屋を空にしてしまっていた。
この時世である。
いつどこに間者が潜んでいるとも知れない。
俺は、殿が城中で普段よく顔を出す場所をくまなく探した。
が、どこにも居なかった。
ふと空を見上げると、夕立でも降り出しそうな雲行きであった。
もしかすると外に出たのかもしれないと思い、俺は本丸から二ノ丸、三ノ丸と徐々に下りながら殿の姿を探した。
いつの間にか、大粒の雨が地面を激しく打ち始めていた。
殿にもしものことがあれば、俺が腹を切って済むような問題ではない。
雨の中、草をかきわけて殿を探した。
すると、どこからか『きゅ~』という鳴き声と人の話し声が聞こえてきた。
俺はその方へ急いだ。
一本の木の下で、殿と殿のキジ馬が雨宿りをしていた。
体を震わせて水気を飛ばしていたキジ馬が先に俺の気配を感じ取り、それにつられて殿が俺に気がつくと、殿は「あ…」と目を丸くした。
俺は安堵したわけでもなく、かと言って怒る気にもならず、ただ漠然と「見つかった」と思った。
木の下に入ると、殿は自分が探されていたということを察したらしく、
「ごめん…」
と呟いた。
「ごめん、で済まされる話ではありませんよ」
殿は「キジ馬の散歩くらいならいいと思ったんだ」と言った。
思わず溜め息が出た。
この年になっても、自分の立場を理解していない殿にあきれた。
しかし、あまりくどくどしく説教するよりも、殿様の御ためには、こう言うほうが適切に思われた。
「まぁ、済んだことです。雨が上がったら、一緒に帰りましょう」
殿は、しばらく間を置いて「うん」と頷いた。
俺は、時折淋しげな表情を見せる殿には、「なにがあっても必ず誰かが傍にいる」という安心感を与えるべきだと思うのだ。
常日頃から、殿には「城中であっても、どこかに行くときは必ず自分に一言言うように」と伝えてある。
それにも関わらず、殿は俺になにも告げずに部屋を空にしてしまっていた。
この時世である。
いつどこに間者が潜んでいるとも知れない。
俺は、殿が城中で普段よく顔を出す場所をくまなく探した。
が、どこにも居なかった。
ふと空を見上げると、夕立でも降り出しそうな雲行きであった。
もしかすると外に出たのかもしれないと思い、俺は本丸から二ノ丸、三ノ丸と徐々に下りながら殿の姿を探した。
いつの間にか、大粒の雨が地面を激しく打ち始めていた。
殿にもしものことがあれば、俺が腹を切って済むような問題ではない。
雨の中、草をかきわけて殿を探した。
すると、どこからか『きゅ~』という鳴き声と人の話し声が聞こえてきた。
俺はその方へ急いだ。
一本の木の下で、殿と殿のキジ馬が雨宿りをしていた。
体を震わせて水気を飛ばしていたキジ馬が先に俺の気配を感じ取り、それにつられて殿が俺に気がつくと、殿は「あ…」と目を丸くした。
俺は安堵したわけでもなく、かと言って怒る気にもならず、ただ漠然と「見つかった」と思った。
木の下に入ると、殿は自分が探されていたということを察したらしく、
「ごめん…」
と呟いた。
「ごめん、で済まされる話ではありませんよ」
殿は「キジ馬の散歩くらいならいいと思ったんだ」と言った。
思わず溜め息が出た。
この年になっても、自分の立場を理解していない殿にあきれた。
しかし、あまりくどくどしく説教するよりも、殿様の御ためには、こう言うほうが適切に思われた。
「まぁ、済んだことです。雨が上がったら、一緒に帰りましょう」
殿は、しばらく間を置いて「うん」と頷いた。
俺は、時折淋しげな表情を見せる殿には、「なにがあっても必ず誰かが傍にいる」という安心感を与えるべきだと思うのだ。
午後、自室で刀の手入れをしていると、深水頼蔵がやってきた。
報告書の数値について知りたいことがあるので、それに関する資料を見せて欲しい、とのことだった。
頼蔵は、戦が始まると軍師になるが、終わると会計係になる。
今回も、俺の先月分の支出について調べに来たようであった。
「あなたは本当に毎月貯め込みますね。なにか企んでいるのですか」
頼蔵は資料を見てそう言った。
「もし企んでいるのなら、その数字くらい改ざんするがな」
頼蔵は「際どい発言ですね」と言いながら、そろばんを弾き始めた。
しばらくの間、互いに無言でそろばんの音だけが聞こえていた。
俺は再び刀の手入れをしていたが、後ろで頼蔵が「それでは失礼します」と言ったので、「あぁ」とだけ返事した。
すると、障子を閉める際に、
「頼兄殿、ひとつ面白いことを教えてあげましょう」
と振り向いて奴が言った。
「あなたの出費と、殿のキジ馬のひと月の食費がまったく同額でした」
どこが気に障ったのかはわからないが、とにかく頼蔵の笑顔に腹が立ったのは確かだった。
今日は、球磨川のほとりで花火大会があった。
川岸に町人や農民たちが団扇を片手に集まり、花火が打ち上げられる度に歓声を上げていた。
もちろん、殿はこういう行事に目がない。
本丸にある護摩堂(この城には天守閣というものが無い)に上り、そこで花火を楽しんでいた。
酒を飲みながらなのは言うまでもない。
「昔も、兄さんと弟と3人でここに来て、花火を見たっけ」
それはかれこれ10年以上前の話である。
俺が「覚えておいでですか」と言うと、殿は頷いた。
「ここで見たいって3人で言ったら、父さんが上るのを特別に許してくれた。花火が目の前で見えて、その迫力が楽しかったのを覚えてるよ」
殿の言葉の合間ゝに、花火の打ち上がる音が響いていた。
「でも、もうだれも居ない」。
殿の背中はそう語っているようだった。
殿はまれに、淋しげなことを言ったり、そのような表情をしたりする。
そのときがまさにそうであった。
もしかすると、殿にとって必要なものは、一国の主という身分や権力でも、さらにそれを維持するための補佐役である俺でもなく、家族だったのかもしれない。
身内が利用されて死んだり、互いに自由に会えなくなるようなことが普通に起こり得る武家の世界よりも、この城下の川沿いで花火を眺めている、町人や農民の暮らしのほうが合っていたのかも知れない。
しかし、たとえそうだとしても、殿が現実を捨てたところで、父親や兄が戻るわけでもない。
殿には、殿という職を生涯全うする以外にほかの生き方など無いのである。
「よりあに」
俺は呼ばれてふと我に返った。
なんですか、と訊くと、
「お代わり欲しいな」
と、空になった冷酒の容器を指差して言った。
色々と、俺の考えすぎなのだろうか。
夏の祭りのときくらい飲ませてやろうと、殿様の御ため、俺は容器を持って護摩堂を下りた。
川岸に町人や農民たちが団扇を片手に集まり、花火が打ち上げられる度に歓声を上げていた。
もちろん、殿はこういう行事に目がない。
本丸にある護摩堂(この城には天守閣というものが無い)に上り、そこで花火を楽しんでいた。
酒を飲みながらなのは言うまでもない。
「昔も、兄さんと弟と3人でここに来て、花火を見たっけ」
それはかれこれ10年以上前の話である。
俺が「覚えておいでですか」と言うと、殿は頷いた。
「ここで見たいって3人で言ったら、父さんが上るのを特別に許してくれた。花火が目の前で見えて、その迫力が楽しかったのを覚えてるよ」
殿の言葉の合間ゝに、花火の打ち上がる音が響いていた。
「でも、もうだれも居ない」。
殿の背中はそう語っているようだった。
殿はまれに、淋しげなことを言ったり、そのような表情をしたりする。
そのときがまさにそうであった。
もしかすると、殿にとって必要なものは、一国の主という身分や権力でも、さらにそれを維持するための補佐役である俺でもなく、家族だったのかもしれない。
身内が利用されて死んだり、互いに自由に会えなくなるようなことが普通に起こり得る武家の世界よりも、この城下の川沿いで花火を眺めている、町人や農民の暮らしのほうが合っていたのかも知れない。
しかし、たとえそうだとしても、殿が現実を捨てたところで、父親や兄が戻るわけでもない。
殿には、殿という職を生涯全うする以外にほかの生き方など無いのである。
「よりあに」
俺は呼ばれてふと我に返った。
なんですか、と訊くと、
「お代わり欲しいな」
と、空になった冷酒の容器を指差して言った。
色々と、俺の考えすぎなのだろうか。
夏の祭りのときくらい飲ませてやろうと、殿様の御ため、俺は容器を持って護摩堂を下りた。