年の瀬が近づくと、年内に仕上げねばならない仕事の他に、私的な新年行事の準備にも追われる。
たとえば、年賀状である。
俺は毎年、城下の絵師にキジ馬の絵を描かせている。
今年もまた、挨拶文のみを記した年賀状を彼のもとに持ってゆき、キジ馬を描かせねばならない。
また、加藤や島津への年賀状は最も気を遣う。
これらは殿が送り主として出し、俺と深水頼蔵の名を隅に書く程度で済ませる。
しかし、殿は年賀状の準備が遅い。
とにかく遅い。
なぜなら、挨拶文を書く位置や文字の色、全体の構成に悩み、その上キジ馬の絵を自ら描くからである。
おかげで毎年、飛脚にとにかく配達を急ぐよう頼み込まねばならない始末である。
頼蔵は「凝った年賀状を送られると感心するものです。良いではありませんか」と言う。
が、俺は年末年始まで胃の痛む思いはしたくない。
早めに年賀状を調達し、殿に書かせ始めたいものだ。
物事を余裕を持って仕上げることを覚えさせるのも、殿様の御ためである。
そう言えば、小西行長が「くりすます」という切支丹の行事に取り組み始めたと聞く。
「くりすます」が最も盛り上がる日の夜には、「けいき」という甘い菓子を作って食べるらしい。
このくには基督教を禁止しているが、殿が羨むのでそのような情報は国内で厳重に管理して欲しい。
殿が「けいき」を食いたがって仕様がないのである。
基督教自体ではなく、その一環のけいきに興味を持っただけでも、法華経愛好者で基督教嫌いの加藤清正になにをされるかわかったものではないのだ。
たとえば、年賀状である。
俺は毎年、城下の絵師にキジ馬の絵を描かせている。
今年もまた、挨拶文のみを記した年賀状を彼のもとに持ってゆき、キジ馬を描かせねばならない。
また、加藤や島津への年賀状は最も気を遣う。
これらは殿が送り主として出し、俺と深水頼蔵の名を隅に書く程度で済ませる。
しかし、殿は年賀状の準備が遅い。
とにかく遅い。
なぜなら、挨拶文を書く位置や文字の色、全体の構成に悩み、その上キジ馬の絵を自ら描くからである。
おかげで毎年、飛脚にとにかく配達を急ぐよう頼み込まねばならない始末である。
頼蔵は「凝った年賀状を送られると感心するものです。良いではありませんか」と言う。
が、俺は年末年始まで胃の痛む思いはしたくない。
早めに年賀状を調達し、殿に書かせ始めたいものだ。
物事を余裕を持って仕上げることを覚えさせるのも、殿様の御ためである。
そう言えば、小西行長が「くりすます」という切支丹の行事に取り組み始めたと聞く。
「くりすます」が最も盛り上がる日の夜には、「けいき」という甘い菓子を作って食べるらしい。
このくには基督教を禁止しているが、殿が羨むのでそのような情報は国内で厳重に管理して欲しい。
殿が「けいき」を食いたがって仕様がないのである。
基督教自体ではなく、その一環のけいきに興味を持っただけでも、法華経愛好者で基督教嫌いの加藤清正になにをされるかわかったものではないのだ。
PR
COMMENT