昨日、大名2人が寝過ごしたこともあり、今日は朝から清正と殿の対談が行われた。
まず、殿がくにの状態を報告した。
農業、治水、交通、そして政治など、すべてについて話した。
「そうか、いまはなんの沙汰もなし、か」
頬杖をついて、殿の話を反芻するように考え込んでいた清正は、今度は腕を組んでそう言った。
『なんの沙汰もなし』というのは、薩摩のことである。
加藤清正は、太閤秀吉にその武勇を買われて肥後熊本を与えられた。
そして、難攻不落と名高いこの熊本城を築いた。
これらのいきさつは、すべてあるひとつの理由によって明らかにできる。
薩摩の島津抑えのためである。
すでに九州は秀吉の官による平定が行われ、領国分配も済んだ。
しかし、島津は肥後の一部、すなわち相良領をも傘下に収めることを譲らなかった。
秀吉は、薩摩の兵の強さを平定時に思い知らされていた上、これ以上兵を出す余裕もなかったので、いまだ反乱分子のにおいがする薩摩を放っておかざるを得なかったのである。
その島津を監視するため、加藤清正を肥後に置いた。
清正が島津を気に掛けるのは、そのためである。
「俺は太閤様から、島津に不穏な動きが見られたら、即征伐しろとのご命令を受けている」
殿は「はい」と頷いて、
「そうなったときのことは、分かっています」
と言った。
つまり、約束通り清正側につく、ということだ。
清正はしばらく黙っていたが、
「頑張れよ」
と、労わるような口調で殿を励ました。
薩摩に赴いている殿の弟の、戦になった場合の運命を清正も知っているので、そう言ったのであろう。
相良のお家の御ため、殿様の御ためこそが、俺が最も重んじる奉公の形である。
しかし、長誠様のために作戦を選びたいという考えもある。
「お任せください」
殿は生まれつきの愛想の良さで笑顔をつくり、清正にそう言った。
まず、殿がくにの状態を報告した。
農業、治水、交通、そして政治など、すべてについて話した。
「そうか、いまはなんの沙汰もなし、か」
頬杖をついて、殿の話を反芻するように考え込んでいた清正は、今度は腕を組んでそう言った。
『なんの沙汰もなし』というのは、薩摩のことである。
加藤清正は、太閤秀吉にその武勇を買われて肥後熊本を与えられた。
そして、難攻不落と名高いこの熊本城を築いた。
これらのいきさつは、すべてあるひとつの理由によって明らかにできる。
薩摩の島津抑えのためである。
すでに九州は秀吉の官による平定が行われ、領国分配も済んだ。
しかし、島津は肥後の一部、すなわち相良領をも傘下に収めることを譲らなかった。
秀吉は、薩摩の兵の強さを平定時に思い知らされていた上、これ以上兵を出す余裕もなかったので、いまだ反乱分子のにおいがする薩摩を放っておかざるを得なかったのである。
その島津を監視するため、加藤清正を肥後に置いた。
清正が島津を気に掛けるのは、そのためである。
「俺は太閤様から、島津に不穏な動きが見られたら、即征伐しろとのご命令を受けている」
殿は「はい」と頷いて、
「そうなったときのことは、分かっています」
と言った。
つまり、約束通り清正側につく、ということだ。
清正はしばらく黙っていたが、
「頑張れよ」
と、労わるような口調で殿を励ました。
薩摩に赴いている殿の弟の、戦になった場合の運命を清正も知っているので、そう言ったのであろう。
相良のお家の御ため、殿様の御ためこそが、俺が最も重んじる奉公の形である。
しかし、長誠様のために作戦を選びたいという考えもある。
「お任せください」
殿は生まれつきの愛想の良さで笑顔をつくり、清正にそう言った。
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予定通り、明日熊本へ向かう。
殿は1日掛けて旅の支度をしていた。
だが、移動時間を短縮するために駕籠ではなく馬で動くため、あまり多くの荷物は載せられない。
俺は、簡単な着替えや清正への手土産など、最低限のものだけを荷造りするように伝えておいた。
殿がせわしく準備に明け暮れる様子を、殿のキジ馬は切なげな目で見ていた。
「キジ馬」
殿はキジ馬を呼んだ。
呼ばれて、キジ馬は殿のほうへ寄っていった。
殿は両手で抱き上げ、
「キジ馬にも土産を持って帰るし、戻ったら土産話もしてあげるよ。だから、それを楽しみにして、よく頼蔵の言うことを聞くんだよ」
と言った。
キジ馬はおとなしく頷いていたが、感極まったのか、甘える声で「きゅ~きゅ~」と鳴き始めた。
殿様の御ため、俺は、
「殿。将来、背後(島津)を気にせずに、キジ馬と共にゆっくりと熊本へ行けるようになるため、尽力致します」
と、殿の後ろ姿に向かって言った。
「うん、頼むよ」
殿は名残惜しそうにキジ馬の背を撫でていた。
殿は1日掛けて旅の支度をしていた。
だが、移動時間を短縮するために駕籠ではなく馬で動くため、あまり多くの荷物は載せられない。
俺は、簡単な着替えや清正への手土産など、最低限のものだけを荷造りするように伝えておいた。
殿がせわしく準備に明け暮れる様子を、殿のキジ馬は切なげな目で見ていた。
「キジ馬」
殿はキジ馬を呼んだ。
呼ばれて、キジ馬は殿のほうへ寄っていった。
殿は両手で抱き上げ、
「キジ馬にも土産を持って帰るし、戻ったら土産話もしてあげるよ。だから、それを楽しみにして、よく頼蔵の言うことを聞くんだよ」
と言った。
キジ馬はおとなしく頷いていたが、感極まったのか、甘える声で「きゅ~きゅ~」と鳴き始めた。
殿様の御ため、俺は、
「殿。将来、背後(島津)を気にせずに、キジ馬と共にゆっくりと熊本へ行けるようになるため、尽力致します」
と、殿の後ろ姿に向かって言った。
「うん、頼むよ」
殿は名残惜しそうにキジ馬の背を撫でていた。
案の定、昨夜は大広間で大宴会が催された。
酒豪の大名2人が主役の宴会であるから、酒は山ほど支度されていた。
飯田覚兵衛をはじめ清正の側近の家臣たちが集まり、無礼講のような雰囲気で皆浴びるように飲んでいた。
俺が酒を飲めないことを清正は知っているので、俺の膳には茶が置かれ、俺はもっぱらそれを飲んでいた。
さて、あの食い意地の張った殿である。
酒のみならず、料理にも特別な興味を示していた。
相良の領国に海がないことを気遣ってか、料理のほとんどは海の幸であったので、その関心は並ではない。
くにで出される魚と言えば、城の前の球磨川で捕れる鮎をはじめとした川魚が精々である。
そのような理由もあって、小鯛の塩焼きには美味さに歓声をあげていた。
書き遅れたが、殿が喜ぶ度に清正の機嫌がより良くなるのは、書くと追いつかなくなるほど頻繁であるので、ここでは割愛する。
殿がなんでも美味そうに食べる反面、俺にはどうしても生魚は受け付けられなかった。
刺身よりも、それに添えてあるしそのほうが美味かった。
だが、清正が見ている手前、無理矢理ねじこんで片付けた。
初日から清正の機嫌を損ねかねないような真似をして、殿の足を引っ張ってはならない。
それが殿様の御ためと思ったのだ。
夜も更け、日付が変わった頃に宴会はお開きとなった。
清正が「今夜はこれまで」と言ったからではない。
皆泥酔して酔い潰れ、清正までもが酔っ払って眠ってしまったからである。
もちろん、清正が酔い潰れるほどの酒に付き合った殿も例外ではない。
俺は清正と殿を部屋に運んだ。
清正の家臣連中は、城の者が手分けしてそれぞれの部屋に運んでいた。
俺は殿を布団に寝かせ、自分の布団に入った。
横の殿を見ると、殿は幸せそうな顔をして眠っていた。
ちなみに、今日は清正も家臣連中も殿も昼過ぎまで寝ていたので、城の見学も詳しい近況報告もできなかった。
仕方がないので、俺は殿様の御ために台所から湯呑みに水をもらって来、それを机の上に準備して、殿が目を覚ますのを待っていた。
途方もない時間であった。
酒豪の大名2人が主役の宴会であるから、酒は山ほど支度されていた。
飯田覚兵衛をはじめ清正の側近の家臣たちが集まり、無礼講のような雰囲気で皆浴びるように飲んでいた。
俺が酒を飲めないことを清正は知っているので、俺の膳には茶が置かれ、俺はもっぱらそれを飲んでいた。
さて、あの食い意地の張った殿である。
酒のみならず、料理にも特別な興味を示していた。
相良の領国に海がないことを気遣ってか、料理のほとんどは海の幸であったので、その関心は並ではない。
くにで出される魚と言えば、城の前の球磨川で捕れる鮎をはじめとした川魚が精々である。
そのような理由もあって、小鯛の塩焼きには美味さに歓声をあげていた。
書き遅れたが、殿が喜ぶ度に清正の機嫌がより良くなるのは、書くと追いつかなくなるほど頻繁であるので、ここでは割愛する。
殿がなんでも美味そうに食べる反面、俺にはどうしても生魚は受け付けられなかった。
刺身よりも、それに添えてあるしそのほうが美味かった。
だが、清正が見ている手前、無理矢理ねじこんで片付けた。
初日から清正の機嫌を損ねかねないような真似をして、殿の足を引っ張ってはならない。
それが殿様の御ためと思ったのだ。
夜も更け、日付が変わった頃に宴会はお開きとなった。
清正が「今夜はこれまで」と言ったからではない。
皆泥酔して酔い潰れ、清正までもが酔っ払って眠ってしまったからである。
もちろん、清正が酔い潰れるほどの酒に付き合った殿も例外ではない。
俺は清正と殿を部屋に運んだ。
清正の家臣連中は、城の者が手分けしてそれぞれの部屋に運んでいた。
俺は殿を布団に寝かせ、自分の布団に入った。
横の殿を見ると、殿は幸せそうな顔をして眠っていた。
ちなみに、今日は清正も家臣連中も殿も昼過ぎまで寝ていたので、城の見学も詳しい近況報告もできなかった。
仕方がないので、俺は殿様の御ために台所から湯呑みに水をもらって来、それを机の上に準備して、殿が目を覚ますのを待っていた。
途方もない時間であった。
午後のまだ陽が高い頃に、熊本に入った。
山を越え、熊本城の天守閣が見えると、殿は、
「加藤さん家が見えたよ」
と騒いでいた。
間違えてはいないが、『加藤さん家』という表現はどうだろうか。
途中で、熊本城からの迎えの者、飯田覚兵衛と合流した。
幼い頃から加藤清正に仕えている男で、気さくな人柄であった。
殿と話が合うのか、合わせているのか、よく話していた。
熊本城のすぐ下に到着すると、なんと、三の丸の門前まで加藤清正が迎えに出ていた。
殿と俺は慌てて馬から降り、挨拶した。
「おう、よく来た、よく来た!」
と、清正は殿の背を力一杯幾度も叩いて笑っていた。
大歓迎であった。
それから城まで、三の丸、二の丸、本丸と上っていったのだが、その間の殿のはしゃぎようは尋常ではなかった。
殿は、熊本城の武者返しが大の気に入りなのである。
「いいなあ」「格好いいなあ」を連発し、それゆえに余計清正の機嫌も一層良くなる。
「1週間こっちにいるなら、ゆっくり全部見せてやるよ」
自慢して見せたいのだろう、と俺は思った。
相良家がいつ加藤家から手を切るかもわからないのに、城の内部をすべて見せようと言うのはほぼ自殺行為であろう。
城の居間に通されると、茶と茶菓子でもてなされた。
茶菓子には、熊本銘菓「いきなり団子」という饅頭が出された。
もっとも、これは清正から訊いて知った名称である。
小麦粉で作った皮の中に、さつまいもが入っていた。
さつまいもの甘さが引き立っていたので、殿はこれも気に入り、美味そうに食っていた。
それを見ることで、また清正の機嫌が良くなる。
すこし話をしたあと、清正は、
「疲れただろう。風呂に入って、晩飯まで昼寝でもしろ」
と言った。
殿と俺は言葉に甘え、風呂に入って旅の埃を落とした。
さすがに疲れが溜まっていたのか、殿は眠たげな顔で布団に入った。
「晩ごはん楽しみだね」
嬉しそうにそう言うと、殿はすぐに眠った。
殿様の御ため、俺は殿の横に日よけのついたてを立てた。
確実に今夜は大宴会が開かれるであろう。
山を越え、熊本城の天守閣が見えると、殿は、
「加藤さん家が見えたよ」
と騒いでいた。
間違えてはいないが、『加藤さん家』という表現はどうだろうか。
途中で、熊本城からの迎えの者、飯田覚兵衛と合流した。
幼い頃から加藤清正に仕えている男で、気さくな人柄であった。
殿と話が合うのか、合わせているのか、よく話していた。
熊本城のすぐ下に到着すると、なんと、三の丸の門前まで加藤清正が迎えに出ていた。
殿と俺は慌てて馬から降り、挨拶した。
「おう、よく来た、よく来た!」
と、清正は殿の背を力一杯幾度も叩いて笑っていた。
大歓迎であった。
それから城まで、三の丸、二の丸、本丸と上っていったのだが、その間の殿のはしゃぎようは尋常ではなかった。
殿は、熊本城の武者返しが大の気に入りなのである。
「いいなあ」「格好いいなあ」を連発し、それゆえに余計清正の機嫌も一層良くなる。
「1週間こっちにいるなら、ゆっくり全部見せてやるよ」
自慢して見せたいのだろう、と俺は思った。
相良家がいつ加藤家から手を切るかもわからないのに、城の内部をすべて見せようと言うのはほぼ自殺行為であろう。
城の居間に通されると、茶と茶菓子でもてなされた。
茶菓子には、熊本銘菓「いきなり団子」という饅頭が出された。
もっとも、これは清正から訊いて知った名称である。
小麦粉で作った皮の中に、さつまいもが入っていた。
さつまいもの甘さが引き立っていたので、殿はこれも気に入り、美味そうに食っていた。
それを見ることで、また清正の機嫌が良くなる。
すこし話をしたあと、清正は、
「疲れただろう。風呂に入って、晩飯まで昼寝でもしろ」
と言った。
殿と俺は言葉に甘え、風呂に入って旅の埃を落とした。
さすがに疲れが溜まっていたのか、殿は眠たげな顔で布団に入った。
「晩ごはん楽しみだね」
嬉しそうにそう言うと、殿はすぐに眠った。
殿様の御ため、俺は殿の横に日よけのついたてを立てた。
確実に今夜は大宴会が開かれるであろう。
夕方、遊びに出ていた殿のキジ馬が傷だらけになって戻ってきた。
きっと猫と喧嘩でもしたのであろう。
しかし、落ち込んでいる様子がないので勝ったに違いない。
「勝ったのはいいけど、こんなになるまで喧嘩したらだめだよ」
と、殿は心配そうにキジ馬の傷を調べていた。
明後日から、殿と俺は熊本に行く。
その間のキジ馬の世話は深水頼蔵に任せることになっている。
ただでさえキジ馬を置いていくのが心残りなのに、傷だらけになるような喧嘩をするようだと余計に心配が募るのであろう。
殿様の御ため、俺は城の医務に救急箱を取りに行った。
きっと猫と喧嘩でもしたのであろう。
しかし、落ち込んでいる様子がないので勝ったに違いない。
「勝ったのはいいけど、こんなになるまで喧嘩したらだめだよ」
と、殿は心配そうにキジ馬の傷を調べていた。
明後日から、殿と俺は熊本に行く。
その間のキジ馬の世話は深水頼蔵に任せることになっている。
ただでさえキジ馬を置いていくのが心残りなのに、傷だらけになるような喧嘩をするようだと余計に心配が募るのであろう。
殿様の御ため、俺は城の医務に救急箱を取りに行った。