領内の災害復旧資金の調達のため、城の経費削減が決まってから、殿は毎食3杯の飯を2杯に減らした。
未だ食べ盛りの殿は、傍目に見てもかなりひもじそうであった。
しかし殿は、決してそのような気弱な素振りなどは見せない。
ご馳走様、と笑顔で箸を置くのである。
痛々しい。
間食はともかくも、1日3回の食事くらい満足に食わしてやりたいと思う。
だが、殿は、このくにの最高責任者である自分が率先して節約に励まなければ、殿様としてだらしないと思っているのであろう。
この気持ちを尊重することも殿様の御ためである。
短くとも半年の間、殿は空きっ腹を抱えて耐え続けなければならないが、かつて人質生活に耐えてきた殿であるから、これくらいはこらえてくれるに違いない。
未だ食べ盛りの殿は、傍目に見てもかなりひもじそうであった。
しかし殿は、決してそのような気弱な素振りなどは見せない。
ご馳走様、と笑顔で箸を置くのである。
痛々しい。
間食はともかくも、1日3回の食事くらい満足に食わしてやりたいと思う。
だが、殿は、このくにの最高責任者である自分が率先して節約に励まなければ、殿様としてだらしないと思っているのであろう。
この気持ちを尊重することも殿様の御ためである。
短くとも半年の間、殿は空きっ腹を抱えて耐え続けなければならないが、かつて人質生活に耐えてきた殿であるから、これくらいはこらえてくれるに違いない。
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今月も、会計処理のために深水頼蔵が部屋にやって来やがった。
「なんですか、これは」
支出をまとめた表を見るなり、頼蔵は目を点にして呟いた。
「先月購入したのは墨だけですか」
頼蔵は『信じられない』とでも言いたげな目で俺を見た。
そんな目で見られても、外食をしないので自分の懐から食事代を出す機会もなく、酒が飲めないので飲み代も生じない。
着物は十分足りており、襟巻きも姪から新しいものを貰ったばかりである。
これらをいちいち説明してやると、頼蔵は、
「あなたは生活に楽しみや娯楽を求めないのですね」
と、今度は哀れむような目で俺を見た。
「世の中は面白いことで溢れていますよ」
そう言うと、頼蔵は資料をまとめて立ち上がった。
俺は、あの殿の傍に仕えているだけで毎日飽きない面白さを感じている。
そして、それは幾ら金を出そうとも金では手に入らない楽しみである。
殿様の御ためは、俺にとって仕事でもあり、さらにある種の娯楽めいた一面も持っているのである。
「なんですか、これは」
支出をまとめた表を見るなり、頼蔵は目を点にして呟いた。
「先月購入したのは墨だけですか」
頼蔵は『信じられない』とでも言いたげな目で俺を見た。
そんな目で見られても、外食をしないので自分の懐から食事代を出す機会もなく、酒が飲めないので飲み代も生じない。
着物は十分足りており、襟巻きも姪から新しいものを貰ったばかりである。
これらをいちいち説明してやると、頼蔵は、
「あなたは生活に楽しみや娯楽を求めないのですね」
と、今度は哀れむような目で俺を見た。
「世の中は面白いことで溢れていますよ」
そう言うと、頼蔵は資料をまとめて立ち上がった。
俺は、あの殿の傍に仕えているだけで毎日飽きない面白さを感じている。
そして、それは幾ら金を出そうとも金では手に入らない楽しみである。
殿様の御ためは、俺にとって仕事でもあり、さらにある種の娯楽めいた一面も持っているのである。
昨夜の風は大したことはなかったが、雨はよく降った。
それでも幸い球磨川は若干の増水が見られただけで、領民の避難が必要になるほどではなかった。
よく持ちこたえたと思う。
しかし、山のあちこちで崖崩れが起きたらしい。
怪我人こそ出なかったが、道が塞がり、復旧にはしばらくの時間が掛かりそうである。
そのような被害状況をまとめた書類が、陽が昇るや否や殿の元に集まり始めた。
正午が近くなる頃には、状況報告書から復旧見積もり報告書へと変わり、それらを深水頼蔵がそろばんを弾いて処理していた。
「殿、現時点での費用はこのようになりました」
殿は紙を受け取ると、「いち、に、さん…」と零の数を数え、沈黙してしまった。
「ひと月この城を動かすのに必要な資金のふた月ぶんです」
なぜこいつは、いつもいつも『この金額は何々と同額』、というような比較を持ち出すのだろうか。
「これから毎月節約して浮いたお金を充てても、何年掛かるかわからないよね」
節約と言っても、この時勢、最も金の掛かる軍費は対象外である。
大きな効果は期待できない。
そのとき、俺は棚に収められている商家の目録を見て、ふと思いついた。
「解禁しますか」
この一言を聞き、殿は紙から顔を上げた。
「いまは制限を設けている、他国との商売の権利をすべての商家に与えて経済を活発にし、その売り上げの定率を徴収してみては如何でしょうか」
もちろん、従来から特権を持っていた商家にはさらなる優遇を施し、不平を言わせぬようにする。
「それと城内の経費削減を同時進行し、半年程度を期限として今回の費用を賄えば良いかと思われます」
しばらく殿は思案していたが、
「そうだね、それでやってみようか」
と頷いた。
経済方面は頼蔵のほうが得意としているので、奴を差し置いて殿様の御ために励めたことは、今後の良い自信になった。
だが、
「頼兄殿、さすが年の功だけありますね」
俺とお前はたったの1年違いだが。
それでも幸い球磨川は若干の増水が見られただけで、領民の避難が必要になるほどではなかった。
よく持ちこたえたと思う。
しかし、山のあちこちで崖崩れが起きたらしい。
怪我人こそ出なかったが、道が塞がり、復旧にはしばらくの時間が掛かりそうである。
そのような被害状況をまとめた書類が、陽が昇るや否や殿の元に集まり始めた。
正午が近くなる頃には、状況報告書から復旧見積もり報告書へと変わり、それらを深水頼蔵がそろばんを弾いて処理していた。
「殿、現時点での費用はこのようになりました」
殿は紙を受け取ると、「いち、に、さん…」と零の数を数え、沈黙してしまった。
「ひと月この城を動かすのに必要な資金のふた月ぶんです」
なぜこいつは、いつもいつも『この金額は何々と同額』、というような比較を持ち出すのだろうか。
「これから毎月節約して浮いたお金を充てても、何年掛かるかわからないよね」
節約と言っても、この時勢、最も金の掛かる軍費は対象外である。
大きな効果は期待できない。
そのとき、俺は棚に収められている商家の目録を見て、ふと思いついた。
「解禁しますか」
この一言を聞き、殿は紙から顔を上げた。
「いまは制限を設けている、他国との商売の権利をすべての商家に与えて経済を活発にし、その売り上げの定率を徴収してみては如何でしょうか」
もちろん、従来から特権を持っていた商家にはさらなる優遇を施し、不平を言わせぬようにする。
「それと城内の経費削減を同時進行し、半年程度を期限として今回の費用を賄えば良いかと思われます」
しばらく殿は思案していたが、
「そうだね、それでやってみようか」
と頷いた。
経済方面は頼蔵のほうが得意としているので、奴を差し置いて殿様の御ために励めたことは、今後の良い自信になった。
だが、
「頼兄殿、さすが年の功だけありますね」
俺とお前はたったの1年違いだが。
ここ2,3日、天気が優れない。
今日も朝から雨が降り続いていた。
城下には空に詳しい者が住んでおり、その者が登城してきて言うには、「近々嵐が来る気配がある」そうだ。
この時期の嵐は雨風ともに凄まじく、氾濫した球磨川によって毎年人死にが出る。
城下を見下ろすと、嵐に稲を荒らされる前に収穫してしまおうと、稲刈り作業に追い込みをかける農民たちの姿があった。
さて、この報を受けた城内の人々である。
台所の者たちは、四方八方に飛び回り、大急ぎで数日ぶんの食糧をまとめて買い付けていた。
門番兵たちは、台所の者たちが食糧の搬入に使用する門以外のすべての出入り口を閉鎖し、門に板を打ち付けて暴風対策を施していた。
俺は、吹きさらしの廊下が浸水せぬようにする作業を黙々と行った。
傍で、殿がキジ馬を抱いて、退屈そうに皆の働きを眺めていたが、とうとう、
「僕もやる」
と言い始めた。
一国の主がすることではない、と散々言い聞かせたのだが、やはり徒労であった。
「では、この木槌でそこに板を張ってください」
俺がそう言って仕事を与えると、殿は張り切って木槌で板を打ちつけ始めた。
が、ほかの作業に取り掛かろうとふと目を離した瞬間、
「あ"」
というなんとも表記しがたい声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには人差し指を押さえて痛みをこらえている殿がいた。
このまま続けさせると、殿の指がすべてひょうたんのように腫れてしまうだろう。
そんな殿は、面白すぎて見ていられない。
そう思った俺は、殿様の御ため、
「殿、やはり私がやりましょう」
と交代を申し出た。
その後、殿は医務の者によって指を水で冷やされていたが、日が暮れてもまだ殿の人差し指はひょうたんであった。
追記。
この忙しいときに、また書状を携えた「忍者」がやって来た。
「机の上に置いておきますから、必ずお読みくださいね」
そう言って、「忍者」
今日も朝から雨が降り続いていた。
城下には空に詳しい者が住んでおり、その者が登城してきて言うには、「近々嵐が来る気配がある」そうだ。
この時期の嵐は雨風ともに凄まじく、氾濫した球磨川によって毎年人死にが出る。
城下を見下ろすと、嵐に稲を荒らされる前に収穫してしまおうと、稲刈り作業に追い込みをかける農民たちの姿があった。
さて、この報を受けた城内の人々である。
台所の者たちは、四方八方に飛び回り、大急ぎで数日ぶんの食糧をまとめて買い付けていた。
門番兵たちは、台所の者たちが食糧の搬入に使用する門以外のすべての出入り口を閉鎖し、門に板を打ち付けて暴風対策を施していた。
俺は、吹きさらしの廊下が浸水せぬようにする作業を黙々と行った。
傍で、殿がキジ馬を抱いて、退屈そうに皆の働きを眺めていたが、とうとう、
「僕もやる」
と言い始めた。
一国の主がすることではない、と散々言い聞かせたのだが、やはり徒労であった。
「では、この木槌でそこに板を張ってください」
俺がそう言って仕事を与えると、殿は張り切って木槌で板を打ちつけ始めた。
が、ほかの作業に取り掛かろうとふと目を離した瞬間、
「あ"」
というなんとも表記しがたい声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには人差し指を押さえて痛みをこらえている殿がいた。
このまま続けさせると、殿の指がすべてひょうたんのように腫れてしまうだろう。
そんな殿は、面白すぎて見ていられない。
そう思った俺は、殿様の御ため、
「殿、やはり私がやりましょう」
と交代を申し出た。
その後、殿は医務の者によって指を水で冷やされていたが、日が暮れてもまだ殿の人差し指はひょうたんであった。
追記。
この忙しいときに、また書状を携えた「忍者」がやって来た。
「机の上に置いておきますから、必ずお読みくださいね」
そう言って、「忍者」
午後、例の如く監視を兼ねて殿の部屋で仕事をしていると、殿が、
「お茶の作法をきちんと覚えたから、茶室で披露させてよ」
と自信満々に言った。
その輝く瞳の向こうに、俺は一昨日の茶室での凄惨な光景を見ていた。
「それは確かですね?前のように、茶をぶちまけて顔が緑色になるようなことはありませんね?」
五木の茶職人ならまだしも、武家に生まれて頭から茶にまみれるとは、嬉しくもない貴重な体験であった。
「今度はきちんとできるよ」
殿は俺の顔色など気にせず、意気揚々と立ち上がった。
そこまで言うのなら、と俺は殿について茶室に向かった。
しかし実際、殿が茶を点てる様子を見て、なるほど前言に恥じない腕前になっていると思った。
「殿、上出来ですね」
俺が褒めると、殿は得意そうに笑い、
「よりあにの本を読んで、真面目に勉強したんだよ」
と言った。
「それでは」
勉学に励み、またひとつ教養を豊かにする努力をした殿様の御ため、俺は席を立って自室に行き、菓子が入っている箱を持って茶室に戻った。
「ご褒美です。茶菓子代わりにお召し上がりください」
そう言って箱を開けて差し出すと、殿は「ありがとう」と喜んで食べ始めた。
打てば響く殿様であれば、家臣としてこれほど仕えやすい主君はない。
「お茶の作法をきちんと覚えたから、茶室で披露させてよ」
と自信満々に言った。
その輝く瞳の向こうに、俺は一昨日の茶室での凄惨な光景を見ていた。
「それは確かですね?前のように、茶をぶちまけて顔が緑色になるようなことはありませんね?」
五木の茶職人ならまだしも、武家に生まれて頭から茶にまみれるとは、嬉しくもない貴重な体験であった。
「今度はきちんとできるよ」
殿は俺の顔色など気にせず、意気揚々と立ち上がった。
そこまで言うのなら、と俺は殿について茶室に向かった。
しかし実際、殿が茶を点てる様子を見て、なるほど前言に恥じない腕前になっていると思った。
「殿、上出来ですね」
俺が褒めると、殿は得意そうに笑い、
「よりあにの本を読んで、真面目に勉強したんだよ」
と言った。
「それでは」
勉学に励み、またひとつ教養を豊かにする努力をした殿様の御ため、俺は席を立って自室に行き、菓子が入っている箱を持って茶室に戻った。
「ご褒美です。茶菓子代わりにお召し上がりください」
そう言って箱を開けて差し出すと、殿は「ありがとう」と喜んで食べ始めた。
打てば響く殿様であれば、家臣としてこれほど仕えやすい主君はない。