殿は動物を飼っている。
犬,猫,鷹の類ではなく、九州にしか生息していないという『キジ馬』である。
だいたいこんな感じの生物だ。
たいてい殿と居るが、殿が見当たらないときはどういうわけか俺のところに来る。
仕事中、背後から視線を感じて振り向くと、高確率でこれこいつがいる(その他の場合は他国の忍者だ)。
俺が気がついたと見るや、寄ってきて構ってくれと言わんばかりに「きゅ~きゅ~」鳴く。
野生のキジ馬なら、そのまま掴んで外に放り出すが、あくまでも殿のキジ馬である。
ないがしろにはできない。
よって、仕事をやめてキジ馬に構ってやることになる。
これも殿様の御ためであるし、殿の世話をすることを考えたら、らくなことだ。
ただ、キジ馬と遊んでいる最中、深水頼蔵が部屋にやってきたことに気づかない場合を除けば、の話だが。
犬,猫,鷹の類ではなく、九州にしか生息していないという『キジ馬』である。
だいたいこんな感じの生物だ。
たいてい殿と居るが、殿が見当たらないときはどういうわけか俺のところに来る。
仕事中、背後から視線を感じて振り向くと、高確率で
俺が気がついたと見るや、寄ってきて構ってくれと言わんばかりに「きゅ~きゅ~」鳴く。
野生のキジ馬なら、そのまま掴んで外に放り出すが、あくまでも殿のキジ馬である。
ないがしろにはできない。
よって、仕事をやめてキジ馬に構ってやることになる。
これも殿様の御ためであるし、殿の世話をすることを考えたら、らくなことだ。
ただ、キジ馬と遊んでいる最中、深水頼蔵が部屋にやってきたことに気づかない場合を除けば、の話だが。
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虫が鳴いていた。
「虫の鳴き声が聞こえますな」
殿は相良氏法度第2巻を読み、俺は監視を兼ねてその横で、筆を走らせていた。
「風流だね」
殿は本から目を逸らさずにそう言った。
「真夏の午後に腹の虫が鳴くことの、どこが風流ですか」
「だって腹が減ったんだもん…」
「百歩譲って『だって』と『だもん』に突っ込みを入れるのはやめますが。もう少し経ったら夕餉ですから、我慢してくださいますね?」
暗に『我慢しろ』と言ってみたが、この殿には無駄だった。
10分後、俺は台所に行って握り飯(梅干し入り)を作らせていた。
「どうぞ」
殿に握り飯を差し出すと、殿は「ありがとう」と言って嬉しそうに食べ始めた。
俺は元の席に座って、その様子をなかばあきれ気味に眺めた。
とうもろこしを食ったり、握り飯を食ったり。
いったい殿は、どれだけ食べれば気が済むのか。
けれども、夏ばてされるよりは幾分かましだろう。
今度は眠たくなってきたらしい殿様の御ため、俺は廊下の柱で鳴いていた蝉を取ってきて、部屋の中で鳴かせた。
効果はあったが、俺には弊害があった。
「虫の鳴き声が聞こえますな」
殿は相良氏法度第2巻を読み、俺は監視を兼ねてその横で、筆を走らせていた。
「風流だね」
殿は本から目を逸らさずにそう言った。
「真夏の午後に腹の虫が鳴くことの、どこが風流ですか」
「だって腹が減ったんだもん…」
「百歩譲って『だって』と『だもん』に突っ込みを入れるのはやめますが。もう少し経ったら夕餉ですから、我慢してくださいますね?」
暗に『我慢しろ』と言ってみたが、この殿には無駄だった。
10分後、俺は台所に行って握り飯(梅干し入り)を作らせていた。
「どうぞ」
殿に握り飯を差し出すと、殿は「ありがとう」と言って嬉しそうに食べ始めた。
俺は元の席に座って、その様子をなかばあきれ気味に眺めた。
とうもろこしを食ったり、握り飯を食ったり。
いったい殿は、どれだけ食べれば気が済むのか。
けれども、夏ばてされるよりは幾分かましだろう。
今度は眠たくなってきたらしい殿様の御ため、俺は廊下の柱で鳴いていた蝉を取ってきて、部屋の中で鳴かせた。
効果はあったが、俺には弊害があった。
殿。
何遍も言わせないでください。
俺は「よりあに」ではなく、「よりえ」だ。
あなたが俺を「よりあに」と呼ぶから、ご家中では、裏で「よりあに殿」と言っている奴までいるんです。
殿が俺をなんと呼ぼうと、殿様の御ために働くことは変わらない。
が、しかし、どこか気の抜ける響きに聞こえる。
「よりあに」は。
何遍も言わせないでください。
俺は「よりあに」ではなく、「よりえ」だ。
あなたが俺を「よりあに」と呼ぶから、ご家中では、裏で「よりあに殿」と言っている奴までいるんです。
殿が俺をなんと呼ぼうと、殿様の御ために働くことは変わらない。
が、しかし、どこか気の抜ける響きに聞こえる。
「よりあに」は。
今日は日曜日、休日だった。
城下で用事を済ませ、帰って城内の廊下を歩いていると、深水頼蔵に出くわした。
「これは頼兄殿。青色の襟巻きで、とても涼しげですね」
「お前の嫌味のおかげで、かえって冷静になれてより涼しいな」
おそらく、最も涼しかったのは周囲にたまたまいた奴らだろう。
「左様ですか。せいぜいよく冷静になって、身の引きどころを知ってください」
「『寄せては沈む 月の浦波』」
俺はそう言って、頼蔵の横を通り抜けた。
『寄せては沈む…』は、頼蔵の父親、頼安が詠んだ句で、この部分には『なんど来ても無駄だ』という意味がある。
俺と深水頼蔵は、とにかく仲が悪い。
互いに、相手が失脚するのを待ち望んでいる仲だ。
ところで。
廊下のつきあたりで殿がとうもろこしを食べているのを見たとき、思わず脱力したのは否めない。
一国の主が廊下でとうもろこし、は良くないと思った俺は、殿様の御ために、
「殿」
と声を掛けた。
すると殿は振り返って、
「食べる?」
と、とうもろこしを差し出してきた。
この殿を見ていると、俺と頼蔵の対立抗争など、なんだかどうでもいいものに思えてくる。
これも殿の『求麻郡内安全』を狙う願う策なのだろうか。
殿の横でとうもろこしをかじりながら、俺はそんなことを考えていた。
今日も良く晴れ、日干ししていた俺の襟巻きも、正午過ぎには乾いた。
午前中に渡した本をきちんと読んでいるかを確認するため、殿の部屋に行くと、あのガキは殿は障子の際に座って外を眺めていた。
城の前を流れる球磨川を眺めているらしい。
「よりあに、子供が泳いでいるよ」
気配だけで俺と分かったらしく、背を向けたままそう言った。
「暑いですからね」
机の上の本は、数頁めくられただけで放置されていた。
「昔、父さんに聞いたんだけど」
殿は、俺に本のことを突っ込ませる暇も与えない。
「島津方と大友方がぶつかった合戦で、耳川って川が赤く染まったって、ほんとうなのかな」
「事実ですよ」
俺は机のそばに腰を下ろして答えた。
「ここはきれいなままでいたいね」
殿はいつものように、呟くような小さな声で言った。
これには2つの意味があるように思われる。
1つは、『戦なんて無い、穏やかな世の中にしたい』こと。
2つは、『戦をするなら、他領でやりたい』こと。
俺は殿がどちらの意味で言ったのかを考えたが、その答えは、今後の殿の動きを見ていれば分かるだろうと思い、考えるのはやめた。
「よりあに」
「水浴びをしたいなら、最低1冊は読み終えてからにしてください」
「なんでわかったの」
俺は殿が物心つくか否かの頃から、教育係だか子守り係だか知りませんが、殿にお仕えしているのです。
それくらい分かります。
そうして、午後の俺の仕事は、殿に相良氏法度第1巻を読了させることになった。
午前中に渡した本をきちんと読んでいるかを確認するため、殿の部屋に行くと、
城の前を流れる球磨川を眺めているらしい。
「よりあに、子供が泳いでいるよ」
気配だけで俺と分かったらしく、背を向けたままそう言った。
「暑いですからね」
机の上の本は、数頁めくられただけで放置されていた。
「昔、父さんに聞いたんだけど」
殿は、俺に本のことを突っ込ませる暇も与えない。
「島津方と大友方がぶつかった合戦で、耳川って川が赤く染まったって、ほんとうなのかな」
「事実ですよ」
俺は机のそばに腰を下ろして答えた。
「ここはきれいなままでいたいね」
殿はいつものように、呟くような小さな声で言った。
これには2つの意味があるように思われる。
1つは、『戦なんて無い、穏やかな世の中にしたい』こと。
2つは、『戦をするなら、他領でやりたい』こと。
俺は殿がどちらの意味で言ったのかを考えたが、その答えは、今後の殿の動きを見ていれば分かるだろうと思い、考えるのはやめた。
「よりあに」
「水浴びをしたいなら、最低1冊は読み終えてからにしてください」
「なんでわかったの」
俺は殿が物心つくか否かの頃から、教育係だか子守り係だか知りませんが、殿にお仕えしているのです。
それくらい分かります。
そうして、午後の俺の仕事は、殿に相良氏法度第1巻を読了させることになった。