昼下がり、殿と刀の手入れをしていると、殿が
「おととい、義弘さんと話したの?」
と訊いてきた。
俺は、言葉は交わしたが話は成立していなかったと答えた。
殿はそれを聞いてくすっと笑った。
「あの人は面白いし、いい人だ」
「いい人ですか?」
「僕があっちに行っているとき、いつも構ってくれたし、いろんなことを教えてくれたよ」
妙なことを吹き込まれたのだろうか。
「でも、義久さんが当主でよかった」
殿は、磨き上げた刀身に光を反射させて、磨き具合を確かめながらそう言った。
どういうことか分からず、俺は殿に詳しく言うよう求めた。
「あの人とは思い出が薄いから、なにかがあっても遠慮せずに攻められるからだよ」
途端に陽がかげり、薄暗い部屋のなかで殿が笑っていた。
俺はこういう殿が好きだ。
いつもはぼんやりとしていて口数が少ないのに、突然したたかなことをもらす。
「その際は、私もお供いたしましょう」
殿様の御ためであれば、俺はこの刀が折れるまで働き続ける。
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昨日から今日にかけて、殿と薩摩の島津家に赴いてきた。
薩摩のくにには、いわゆる城というものはなく、屋形づくりの平城を城と呼んでいる。
殿が島津家当主の義久と話をしている間、俺は当主の弟の島津義弘に会ってきた。
そして精神の鍛錬をした。
まず、見た目が暑苦しい。
外で蝉が鳴いているなか、目の前に筋肉男が座ると、さすがの俺でも(冷や)汗がでた。
そのうえ、話が通じない。
薩摩ことば云々以前に、単語単位でしか聞いていないため、話が噛みあわない。
さすがの俺でも(抜刀寸前の)苦笑いがこぼれた。
当主との話が終わると、殿は長誠(ながとも)様に会った。
長誠様は殿の4歳下の弟で、5年前に殿と入れ替わりで薩摩に人質に赴いた。
殿は弟に会えるのを楽しみにしていたらしい。
弟が部屋にやってくると、目の色を変えた…ちがう、目を輝かせた。
2人は滅多に会えない身分である。
兄弟水入らずで物語りでもしたいだろうと思い、俺は席を外した。
すると島津家重臣の伊集院忠棟が「茶でもどうか」と俺を誘ったので、世話になった。
その夜は城に泊まり、早暁、島津家を後にした。
見送りには、島津の当主と長誠様、当家の家臣が出てきた。
義弘はまだ寝ていた。
馬に乗って門を出るとき、長誠様が、
「兄上、お元気で」
と言った。
殿は振り返り、頷いた。
「義久さんの言うことをよく聞けよ」
「心得ております」
長誠様は兄に向かって快活に返事した。
当の兄は、手綱を握り締めてなにかに耐えていた。
この殿様の御ためを考えたが、俺は「いきましょう」としか言えなかった。
薩摩のくにには、いわゆる城というものはなく、屋形づくりの平城を城と呼んでいる。
殿が島津家当主の義久と話をしている間、俺は当主の弟の島津義弘に会ってきた。
そして精神の鍛錬をした。
まず、見た目が暑苦しい。
外で蝉が鳴いているなか、目の前に筋肉男が座ると、さすがの俺でも(冷や)汗がでた。
そのうえ、話が通じない。
薩摩ことば云々以前に、単語単位でしか聞いていないため、話が噛みあわない。
さすがの俺でも(抜刀寸前の)苦笑いがこぼれた。
当主との話が終わると、殿は長誠(ながとも)様に会った。
長誠様は殿の4歳下の弟で、5年前に殿と入れ替わりで薩摩に人質に赴いた。
殿は弟に会えるのを楽しみにしていたらしい。
弟が部屋にやってくると、目の色を変えた…ちがう、目を輝かせた。
2人は滅多に会えない身分である。
兄弟水入らずで物語りでもしたいだろうと思い、俺は席を外した。
すると島津家重臣の伊集院忠棟が「茶でもどうか」と俺を誘ったので、世話になった。
その夜は城に泊まり、早暁、島津家を後にした。
見送りには、島津の当主と長誠様、当家の家臣が出てきた。
義弘はまだ寝ていた。
馬に乗って門を出るとき、長誠様が、
「兄上、お元気で」
と言った。
殿は振り返り、頷いた。
「義久さんの言うことをよく聞けよ」
「心得ております」
長誠様は兄に向かって快活に返事した。
当の兄は、手綱を握り締めてなにかに耐えていた。
この殿様の御ためを考えたが、俺は「いきましょう」としか言えなかった。
今日は二日酔いだった。
昨夜、殿が酒豪であることを忘れて、同じ度合いで飲んでしまったのが悪かった。
酒を覚えて間もない17歳は、けろりとして歩いていたと言うのに。
殿様の御ためには、俺ももうすこし酒に強くなる必要があると思った。
今日は七夕だ。
俺は夕方頃、書くように言われていた短冊を殿に提出した。
殿は自ら、二の丸の広場に設置した七夕飾りに、家臣が書いた短冊をくくりつけていた。
「あ、書いたの」
振り向いて俺から短冊を受け取ると、見もせずに笹の葉に飾りつけた。
台所の連中が、周りで行ったり来たり、忙しなく働いていた。
宴会でも始めるつもりらしい。
俺はこういう騒ぎは好きではないので、再び飾りつけを始めた殿に『では』と言って部屋に戻ろうとした。
しかし殿は、
「よりあに(=頼兄)、一緒に食べよう」
と俺の襟巻きを引っ張り、冷たい器-中には素麺が入っていた-を俺に持たせた。
ちょ、冷たい苦しい冷たい。
殿と座るのに丁度いい石に腰を下ろし、並んで素麺をすすった。
いまが戦国の時代であることなど、そんなことは忘れてしまうような穏やかな夜だった。
「よりあには何を書いたの」
日が暮れて、ほぼ暗闇となった頃、殿はふと呟いた。
『謀略がすべてうまく実るように』と書きました、と俺は答えた。
「よりあにらしいね」
殿は特有の薄ら笑いを浮かべた。
「僕は、旧地を失わず、士名を堕とさず、ここを守っていきたい…と書こうとした。でも、なんか違ったんだ」
殿は箸できゅうりを刺した。
「父さんや兄さんが遺してくれた優秀な家臣たちの期待に応えられるように、地に足つけて、理想を現実にするような甲斐性よりも、現実のなかを確実に、実利の有る無しを基盤にして態度を決めるような…そんなしぶとい強さをもった政治をしよう、と思ったんだ」
それは『願い』と言うより『誓い』ですね、と俺が言うと、殿は「あぁそうか…ちょっとずれちゃったね」と小首をかしげて頭を掻いた。
殿がそこまで言うのなら、俺も殿の役に立てるように、日々謀略を磨いていこうと思った。
しかし、殿。
素麺に梅おろしをかけるのは、複雑です。
相良家の家紋でもある梅を、相良家の当代の目の前で食わされる身にもなってください。
俺は夕方頃、書くように言われていた短冊を殿に提出した。
殿は自ら、二の丸の広場に設置した七夕飾りに、家臣が書いた短冊をくくりつけていた。
「あ、書いたの」
振り向いて俺から短冊を受け取ると、見もせずに笹の葉に飾りつけた。
台所の連中が、周りで行ったり来たり、忙しなく働いていた。
宴会でも始めるつもりらしい。
俺はこういう騒ぎは好きではないので、再び飾りつけを始めた殿に『では』と言って部屋に戻ろうとした。
しかし殿は、
「よりあに(=頼兄)、一緒に食べよう」
と俺の襟巻きを引っ張り、冷たい器-中には素麺が入っていた-を俺に持たせた。
ちょ、冷たい苦しい冷たい。
殿と座るのに丁度いい石に腰を下ろし、並んで素麺をすすった。
いまが戦国の時代であることなど、そんなことは忘れてしまうような穏やかな夜だった。
「よりあには何を書いたの」
日が暮れて、ほぼ暗闇となった頃、殿はふと呟いた。
『謀略がすべてうまく実るように』と書きました、と俺は答えた。
「よりあにらしいね」
殿は特有の薄ら笑いを浮かべた。
「僕は、旧地を失わず、士名を堕とさず、ここを守っていきたい…と書こうとした。でも、なんか違ったんだ」
殿は箸できゅうりを刺した。
「父さんや兄さんが遺してくれた優秀な家臣たちの期待に応えられるように、地に足つけて、理想を現実にするような甲斐性よりも、現実のなかを確実に、実利の有る無しを基盤にして態度を決めるような…そんなしぶとい強さをもった政治をしよう、と思ったんだ」
それは『願い』と言うより『誓い』ですね、と俺が言うと、殿は「あぁそうか…ちょっとずれちゃったね」と小首をかしげて頭を掻いた。
殿がそこまで言うのなら、俺も殿の役に立てるように、日々謀略を磨いていこうと思った。
しかし、殿。
素麺に梅おろしをかけるのは、複雑です。
相良家の家紋でもある梅を、相良家の当代の目の前で食わされる身にもなってください。
今日は日曜日であったから、部屋で本を読んで過ごしていた。
6冊目を手に取った頃、殿がやって来て俺に細長い紙を突き出した。
何事かと思って訊いてみると、
「明日、七夕だから」
殿は独り言のように小さな声でそう答えた。
「願い事をそれに書いて、明日の夜までに僕に渡して。本音でも建て前でもいいから」
「建て前可ですか」
殿は頷いて、そのままふらふらと部屋を出て行った。
直後、廊下でなにかが柱にぶつかる音が聞こえたように思ったが、たぶん気のせいだろう。
建て前可。
こういう中途半端な部分で、殿は相良の血を引いている。
さて。
なにを書いて提出しようか。
俺は本を読むのをやめて、書く内容を考えた。
積み上げた6冊の「相良氏法度」。
読み上げたら、殿にこれを教えて差し上げなければならない。
殿さまの御ためは、なかなか忙しいものだ。
6冊目を手に取った頃、殿がやって来て俺に細長い紙を突き出した。
何事かと思って訊いてみると、
「明日、七夕だから」
殿は独り言のように小さな声でそう答えた。
「願い事をそれに書いて、明日の夜までに僕に渡して。本音でも建て前でもいいから」
「建て前可ですか」
殿は頷いて、そのままふらふらと部屋を出て行った。
直後、廊下でなにかが柱にぶつかる音が聞こえたように思ったが、たぶん気のせいだろう。
建て前可。
こういう中途半端な部分で、殿は相良の血を引いている。
さて。
なにを書いて提出しようか。
俺は本を読むのをやめて、書く内容を考えた。
積み上げた6冊の「相良氏法度」。
読み上げたら、殿にこれを教えて差し上げなければならない。
殿さまの御ためは、なかなか忙しいものだ。